じじぃの「人の死にざま_1682_ヘンリー・ソルト(作家・動物の権利)」

【動物虐待】ロシアサーカスの現実 動画 YouTube
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ヘンリー・ソルト『動物の権利』 Pets Journal
動物に権利があるという考え方は、ジェレミ・ベンサム功利主義的道徳哲学に基づいたものです。
ベンサムに次いで動物の権利を主張した思想家はヘンリー・ソルト (Henry Salt, 1851 - 1939) です。
ソルトは1892年に出版した『動物の権利』の中で、「もし人間が権利を持っていれば動物も権利を持っている」と述べています。
http://pets-journal.com/henrysalt
『平和をつくった世界の 20人』 ジュニア新書編集部 岩波ジュニア新書 2009年発行
ヘンリー・ソルト みな兄弟という信念 (一部抜粋しています)
ヘンリー・スティーヴンス・ソルトは、1851年、インドのナイニタールでデンマークフレデリック1世の血を引く家系に生まれました。ソルトが1歳の時、両親が別居しました。王立ベンガル砲兵隊の大佐であった父はインドにとどまり、ソルトと母はイギリスのシュロプシャーに移り住みました。そこでソルトはおおむね恵まれた、気ままな子ども時代を過ごしました。10代に入ると、彼は才気を発揮し始め、名門イートン校に入るための教育を受けました。家庭教師から、疑うという行為は間違っているかどうかと尋ねられたソルトは、間違っていないと答えました。そのときソルトは、自分が大人になって人生の大半を、社会の軌範を問い直すことに費やすことになるとは、ほとんど知る由もありませんでした。
15歳で王室奨学生としてイートン校入学を認められたソルトは、社交的で、友人を作るこつを心得ていて、寄宿学校での交友を大いに楽しみました。ケンブリッジ大学に入って初めて、ソルトは社会における倫理の重要性といった、もっと大きな問題について深く考えるようになりました。ケンブリッジ大学をトップにつぐ成績で卒業したあと、ソルトはイートン校に補助教員として迎えられますが、そこでは進歩的な考え方が事実上禁止されていることがわかり、失望しました。イートン校時代に、ソルトは同僚教師の娘、キャサリン(ケイト)・リー・ジョインズに出会い、結婚しました。
その後、ハワード・ウィリアムズの『食の倫理』を呼んだソルトは、すぐに菜食主義者となりました。もっともソルトが認めているように、菜食主義者は「当時のイートン校ではもちろん、まったくの変人と見なされていました」このように食習慣を変えた後、ソルトはそれ以外の文化的規範についても考えなおすようになりました。
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ソルトが時間をかけて考えた結果、高度に文明化したといわれる自分の社会では、二つのタイプの野蛮さが猛威をふるっていることに気づきました。それは動物への暴力と人間への暴力です。彼は次のようなことに気づきました。
「動物への残忍さを黙認することで、私たちは、人間への残忍さを黙認する精神そのものを存続させているのです」
このつながりについて世間の認識を高めようと、ソルトはほんの執筆に取りかかり、それは生涯で40冊にもおよびました。ソルトの最初の著書『菜食主義のための嘆願(たんがん)』は、のちにインド独立の指導者マハトマ・ガンディへとつながり、ガンディが菜食主義者になる決意を強く促すことになりました。
ソルトのそのほかの著作の一つ、『動物の権利――社会の発展に関連する一考察』は、そのテーマで18世紀から19世紀に書かれたもっともすぐれた本といわれています。この本の中でソルトは、人間と動物は、感覚や感情を経験できる繊細な生き物として、不要な苦痛に悩まされることなく生きることが許されているはずだ、という自分の信念を説明しています。さらにソルトは、動物の扱い方と社会の構造を関連づけました。彼は、利益を生むことが主な目的である死にものぐるいの競争社会では、人間と動物の幸福は、たいていはその目的の犠牲となっていることに気づきました。最悪の虐待を禁じる法律はあっても、そうした社会では、人々は、本来思いやりをもって動物を扱うべきなのに、そうしたゆとりを単純い持てないし、また持つ気もないのです。