じじぃの「人の生きざま_638_戸川・昌子(作家・シャンソン歌手)」

シャンソン歌手で作家の戸川昌子さん死去 2016年4月26日 朝日新聞デジタル
シャンソン歌手で作家の戸川昌子(とがわ・まさこ)さんが、26日午前5時47分、胃がんで死去した。85歳だった。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4V5T4XJ4VUCVL01Y.html
戸川昌子/愛の賛歌 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UM7xjrA4NNY
青い部屋 月曜シャンソンコンサート
http://aoiheya.com/concert/
週刊新潮 2015年12月10日号
墓碑銘 シャンソン歌手、推理作家 戸川昌子さん、懐深さと家族 (一部抜粋しています)
戸川昌子さんの名前が知れ渡ったのは、1962年、『大いなる幻影』で江戸川乱歩賞を射止めた時である。シャンソン歌手の受賞が大きな話題を呼んだ。
文芸評論家の権田萬治さんは当時を振り返る。
「戸川さんが住んでいた大塚の同潤会アパートが下地にありました。ひとつの大きな建物を舞台に、様々な事情をかかえる人達によって物語が広がっていく書き方は、当時はまだ珍しかった。推理小説でありながら人生の哀歓も描いていました」
31年、東京・青山生まれ。勤め人から鉱脈を探す鉱山師に転じた父は脳出血で倒れ、寝たきりになってしまう。兄は顎がマヒする病気にかかり、頭脳は明晰なのに話すことが不自由だった。母親と姉が家系を支えていたが、父親と兄は敗戦まえに亡くなっている。
戸川さんは商社でタイピストをしていた頃、シャンソンの魅力を知る。銀座のシャンソン喫茶で「銀巴里」で試しに歌う機会を得ると、アルトの声が美輪明宏さんから興味を持たれ、東京六重奏団の原孝太郎さんや淡谷のり子さんも実力を認めた。
勤めを辞め、57年頃から歌手一本に。原稿応募はさらなる挑戦だった。乱歩賞に輝いた翌年には『猟人日記』が直木賞候補となり映画化。中平康監督に請われて出演し、中谷昇さんを相手に濡れ場を演じた。
執筆依頼が殺到、歌と原稿の二重生活でも大変なのに、シャンソンを聴いてくつろいで欲しいと、67年、渋谷にバー『青い部屋』を開く。迷うより行動に移す人だ。
川端康成三島由紀夫野坂昭如なかにし礼岡本太郎紀伊國屋書店創業者の田辺茂一ら、錚々(そうそう)たる顔触れが足繁く通った。
70年代初めから常連だった芸能レポーター須藤甚一郎さんは述懐する。
「文壇バーや文化人サロンではありません。戸川さんは地位なんて全く気にせず、偏見もない。レズやオカマ、あらゆる分野から慕われて頼りにされた。寛大で心の広い親玉でした。落ち目になった人も、ここなら安心できると喜んだ。雑談の名手で、あらぁ、来たのねーという調子で相手の話をよく聞く。批判や説教をせず、人の良い所を受け止めました」
才能が伸びていく過程を眺めるのが好きだった。
ワイドショーのコメンテーターとしても重宝された。
「外見から堂々としていて説得力もある。実はシャイで、講演のように対話がないのは苦手です」(須藤さん)
77年、1男を授かる。独身主義かと思えば、出産し、結婚までしていて世間は二度びっくり。息子は、現在NEROの名で活躍している歌手、戸川尚作さんだ。
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4月26日、胃癌のため85歳で逝去。進行した癌が5年前に見つかっている。母子で話し合い、手術は行わず、できる限りステージに立ち続ける道を選んだ。