タキトゥス(Publius Cornelius Tacitus) コトバンクより
1、2世紀ころ、ローマ帝政時代の歴史家・政治家。
貴族出身で護民官・執政官・アジア州総督などを歴任。帝政に批判的で、共和政を理想とした。著「ゲルマニア」「歴史」「年代記」など。
ゲルマン人 コトバンクより
ゲルマン語を話す諸民族。先史時代,歴史時代初めにゲルマン語を話す部族および部族連合があり,これらを原始ゲルマン人と呼ぶが,中世初期に再編され発展して現在のヨーロッパ人を構成するゲルマン諸民族が生まれた。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
『どこで日本人の歴史観は歪んだのか』 岡崎久彦/著 海竜社 2003年発行
日本の政治制度の伝統 (一部抜粋しています)
一つの国の政治制度というのは民族の伝統から来ます。自由民権運動の前に、日本の政治制度の伝統を見ておいた方がいいでしょう。
日本の政治制度というのは徳川時代までは封建制度ですが、その過去の歴史の中にも、やっぱり民族の伝統があるようです。
その一つにほんとうに不思議なのは聖徳太子の十七条の憲法の第十七条です。
「独断してはいけない、一人で決定してはいけない。必ず多数の人と議論をしなければならない。小さな問題は軽いことであるから、必ずしも相談しなくてもよい。しかし大きな問題は間違いがあってはいけないから、皆と話し合っていれば、妥当な線が出てくる」
と、604年に聖徳太子が言ったのです。
ヨーロッパではローマ帝国の時代にゲルマン族が出てくるのですが、それが何をしているのか、 タキトゥス という歴史家家が見に行って書いたのが、名著『ゲルマニア』(98年)です。これは、ゲルマンを褒めている本です。ローマがこのごろ腐敗堕落しているけど、ゲルマン民族は質実剛健であると描写しています。その中でゲルマンの政治制度についての有名な文章があります。
「大したことがない場合は、首長が決定する。重要な問題はコミュニティー全体が決める」
聖徳太子の十七条と同じ考え方です。
この一文は、アングロ・サクソンの民主主義の起源、要するにイギリスの議会政治の起源を説明する場合にしばしば引用されます。イギリスがどうして民主主義を始めたんだというと、ゲルマンの森にいる頃からこういうことをやっていたんだと。アングロ・サクソンがイングランドを征服して、それを持ち込んで、あとノルマンが来たけれど、アングロ・サクソンの制度がそのまま生きてきたから、こうなった。だからイギリス民主主義の基はここにあるんだということになっています。
それと同じことを聖徳太子が言った。
しかも「独断」という言葉の使い方がユニークです。聖徳太子の十七条の憲法で使われた言葉は、全部学者が調べています。いろんな言葉が使ってあるのですが、だいたいその当時の中国の古典から引用できます。聖徳太子は中国の古典をたいへんたくさん読んでいたのです。