じじぃの「人の生きざま_629_リュック・モンタニエ(HIV・ウイルス学者)」

「閲覧注意」エイズ患者の画像が震える...For example AIDS patient image 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CwCcwmS6Yzo
HIV治療について 北海道HIV/AIDS情報
治療の目的
身体の中のウイルス量を抑え続け、免疫力を回復し、それを維持していくことが目的です。
最新のガイドラインでは、すべてのHIV感染患者さんに対して抗HIV薬の開始が推奨されるようになっています。
http://hok-hiv.com/knowledge/treatment/
リュック・モンタニエ ウィキペディアWikipedia) より
リュック・モンタニエ(Luc Montagnier, 1932年8月18日 - )は、フランスのウイルス学者である。アンドル県シャブリ生まれ。パスツール研究所に在籍した。
1983年、HIVを発見した。
2008年、フランソワーズ・バレ=シヌシ及びハラルド・ツア・ハウゼンと共にノーベル生理学・医学賞を授与された。
しかし、当時HIVの発見に関しては米国のメリーランド大学ヒトウイルス学研究所のロバート・ギャロとどちらが発見者かの争議もあり、一部政治問題化しかけた経緯もあるが、ギャロは受賞対象外となった。

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『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』 スティーブ・パーカー/著、千葉喜久枝/訳 創元社 2016年発行
パンデミックの起こる可能性 (一部抜粋しています)
腺ペスト、天然痘コレラ――感染症は何世紀も人間を脅かしてきた。最悪の事態がパンデミック、すなわち大陸規模、さらには地球規模での流行の発生である。20世紀最初に最大規模の流行を起こしたのは、スペイン風邪と呼ばれる1918年から19年にかけて3波に分かれて発生したインフルエンザであった。推定死亡者は3000人から1億人におよび、当時の世界人口の20分の1近くに達した。
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1981年頃、合衆国の医学界は、皮膚がんの一種のカポジ肉腫やニューモシスチス・カリニ肺炎(PCP、現在ではニューモシスチス・イロヴュチ)のようなめずらしい疾患が、突然、ある病気の患者たちの間で一斉に現れていることを認めた――1982年までに後天性免疫不全症候群(AIDS)と名づけられた病気の最初の患者たちであった。その時点で原因は不明だった。その後、1983年5月、『サイエンス』誌に掲載された一本の論文が、新しいウイルスの発見を報告した。パリのパストゥール研究所に所属するフランス人ウイルス学者のリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレ=シヌシによって発見されたこのウイルスは、リンパ節関連ウイルス(LAV)と名づけられた。リンパ節症とは、免疫系の一部であるリンパ節を侵す病気(非常に多くの感染症でおなじみの腫れたリンパ腺)を意味し、そのウイルスは患者から分離されていた。1984年4月、合衆国のベセスダにある国立がん研究所のロバート・ギャロ率いる研究チームが、これと関連した発表をおこなった。ヒト細胞白血病ウイルスⅢ型(HTLV Ⅲ)となずけられたギャロのウイルスは、以前発見された、白血球のがんであるT細胞リンパ腫に結びつけられていあたⅠ型とⅡ型と関連があるようだった。
LAVとHTLVⅢは同じものではないかという推測はじきに裏付けられた。1986年、AIDSの原因となるこのウイルスに、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)という新たな名がつけられた。
野火のように広がる可能性のある現代版ペストと考えられたため、AIDSは全世界で報道された。その起源は謎で、治療法もなかった。特定のライフスタイルと行動、特に同性愛者と静脈注射による薬物使用と関連があるように思われたため、神話と誤解が広まった。政府はHIV/AIDSについての誤った考えを正し、偏りのない事実を伝え、この病気が広ますのを防ぐため、予防措置を奨励する国際的なキャンペーンを始めた。
HIVはレトロウイルスである。ほとんどのウイルスは遺伝物質DNAを保護被膜の内側に持つ。ウイルスは宿主細胞に侵入すると、宿主細胞をだましてたくさんおウイルスを作りだす。レトロウイルスはこの過程に、逆にもどる(後方へ)段階を加える。すなわち遺伝情報を違う暗号に置き換え、特有の酵素を使用してそれをDNAに変換すると、DNAの通常のウイルスの中と同じようにふるまう。ロバート・ギャロは1970年代初頭にヒトのレトロウイルスの証拠を最初に見つけた。HIVがしていたことは、侵入者を撃退するように設計された体の肝心な部分と作用――免疫系――を標的とすることだった。