じじぃの「神話伝説_157_華厳宗・明恵上人」

モーガン・フリーマン時空を超えて【人間にとって神とは何か?】4月15日 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PgBsSD2P10I
明恵上人

NHKドキュメンタリー 時空を超えて 「人間にとって“神”とは何か?」  2016年4月15日 NHK Eテレ
【語り】モーガン・フリーマン
脳の中に電気信号を生み出す。脳が神を感知したら神は実在するのでしょうか。
ペンシルベニア大のアンドリュー・ニューバーグは、宗教が人間の脳に及ぼす影響について調べている。
脳の画像撮影。祈りを行う場面中に点滴で造影剤を入れる。祈る前と祈りの最中での血流の違いを調べる。
キリスト教徒は、祈りにより前頭葉と言語領域が活発になる。
仏教徒は、瞑想により視覚野が活発になる。
だが、無神論者が祈っても瞑想しても脳の活動が起きない。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3452/1988002/index.html
明恵上人夢記 e国宝
高山寺の中興開山として知られる明恵上人(1173〜1232)は、平重国と湯浅宗重女の間に生まれ、諱を高弁という。その明恵が建久2年(1191)、19歳の頃より、入寂前年の寛喜3年(1231)、59歳にいたるまで約40年にわたって自ら見た夢を記録したのが「夢記」である。
http://www.emuseum.jp/detail/101061/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E9%AB%98%E5%BC%81&class=&title=&c_e=®ion=&era=¢ury=&cptype=&owner=&pos=1&num=4
『/精神分析が面白いほどわかる本』 心の謎を探る会/編 KAWADE夢文庫 2002年出版
どうやって、自分の「無意識」をあぶりだすか? より
鎌倉時代華厳宗の名僧、明恵(みょうえ)上人が、毎日のように自分の見た夢を書きとっていたのは、知る人ぞ知るエピソードである。自分が空高く飛翔し、天上世界に達して月を眺め下ろした夢、自分が輝く珠(たま)となって、どこまでも転がっていく夢――。
夏目漱石なども、自分の夢を書きとって「夢十夜」という連作短編を書いているが、現実的には「夢を記録」するという行為には、どうにもとりのぞきがたいネックがある。
それは、夢を見ているとき、その当人は眠っている、ということである。
眠っている人間は、目の前の風景を正確に写生するように夢を書き写すことはできない。その記録は、覚めたときに残っている記憶に頼るしかないわけだが、夢についての記憶のほとんどは、覚めたときには煙のように薄れてしまっているのが実情なのだ。
そこで、ユングは、目覚めたまま夢を見て、それを記録する方法を編み出した。といっても、まさかメスカリやヒロポンなどの覚醒剤の助けを借りて幻影を書きとる作家の真似をしたわけではない。
ユングが編み出したのは、あくまでも正常を保ちながら、目覚めたまま無意識を得る方法である。そんな方法があるものか……と思う人もいるだろうが、じつは、世界各国でよく知られた方法がある。座禅やヨガによる瞑想がそれだ。ユングは、その瞑想を用いて、無意識にアプローチしたのである。
まず、心身をリラックスさせ、雑念を払って精神統一する。そして、半意識の瞑想状態のなかで浮かんでくるイメージや言葉を、自動筆記のようにスラスラと書きとっていくのだ。
フロイトは、魚→水→火→暖炉→冬という具合に発展する「自由連想法」によって無意識にアプローチする方法をとったが、ユングは、連想というルールさえはずして、自然に心に浮かぶイメージと向き合った。この方法は、ユングによって、「能動的想像」(アクティブ・イマジネーション)と名付けられている。
明恵上人は、「観想」の名人として知られている。「観想」とは、瞑想状態のなかで、仏の世界の幻像を得る精神の術である。無意識という言葉、概念が生まれるはるか昔に、日本人は「無念無想」という境地を発見していた。そして、その境地で得られる幻像を、真の仏と呼んだのである。
ユングによれば、古代人が描いた天国の図、神の図は、すべて人類の無意識にある元型(人類共通の”集合的無意識”のシンボル)にほかならない。つまり、明恵上人とユングとは、まったく同じ方法で同じものにアプローチしていたことになるのだ。