じじぃの「ファッション革命・ボタンの発祥地はどこ?科学文明のつくりかた」


ボタンの歴史 TOMA Collection
現代の私達が考えるボタンの直接の原型は、動きやすい衣服を求めた古代ヨーロッパ北部のゲルマン世界とされる。
より暖かいギリシャ/ローマ世界ではゆったりと布をとめたり、くぐらせたりするブローチ/バックルに近い物が発達した。 しかし長い中世を通じて、ヨーロッパのボタンは当時の文化先進地であるイスラム圏で用いられていた金属製のものなどは装飾品/贅沢品としてほんの一部の人々のものであり、単に開閉を目的とする自然素材ボタンがほとんどであったと考えられる。
http://toma-collection.jp/history_1.html
『この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた』 ルイス・ダートネル/著、東郷えりか/訳 河出書房 2015年発行
衣服 (一部抜粋しています)
調理と発酵は外付けの胃さながらに消化を助けるために利用され、石臼は人間の臼歯の延長となってきたことをこれまで見てきた。同様に、衣服は僕らの体が自然にもっている生物としての生存能力を高めるために、技術を応用したもう1つの例だ。体温を保つ能力を向上させることで、アフリカ東部のサバンナから遠く離れた地域まで人類が広がることを可能にしたのである。
わずか70年ほど前――文明の時間の尺度からすればほんのほんの一瞬前――まで、人間は動物や植物からの自然素材を衣服にしていた。
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革を縫い合わせた衣服にせよ、織物からつくられた衣服にせよ、次の問題はそれをどうやって体にうまく合わせかである。復興期の文明が製造するには複雑すぎるファスナーや面ファスナー(マジックテープ)は考慮しないので、簡単に復活させられる留め具の選択肢はあまりない。最善のローテクの解決法は、ギリシャ・ローマを含め、どの古代文明も考えつかなかったものだが、いまではこれが世界中に普及している。意外なようだが、ヨーロッパでは1300年代なかばまで、ボタンという質素な用具は一般的ではなく、東洋の文化にいたっては一度もボタンを発展させたことはなかった。16世紀にポルトガルの交易商人が身につけていたボタンを初めて見て、日本人はたいそう喜んだ。ボタンの作りはいたって簡単だが、この留め具によってもたらされた新たな可能性には変革を起こす力があった。容易に製造でき、簡単に着脱できる留め具があれば、衣服は頭の上からかぶれるようにするために、形の定まらない、体に緩くまとうだけの様式にする必要はなくなる。代わりに、着てから前をボタンで留めればよいため、服はもっと体にうまく合って着心地のよいものにデザインすることができる。これぞファッションにおける真の革命だ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
日本に「ボタン」を最初に持ち込んだのはポルトガル人らしい。
日本では着物を留める道具として「帯」がある。そのためボタン文化は発達しなかったようだ。
ボタンが付いた服は1つのファッションのような感じだ。子供服にボタンが付いているとかわいらしい。