じじぃの「神話伝説_154_十字軍(キリスト教)」

Crusaders. Templique Solomonici. History of religion 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Bjrll9hQuTs
テンプル騎士団

NHK高校講座 世界史 「第13回 十字軍の時代」
まずは、地中海の東にある、エルサレム旧市街を訪れます。
ユダヤ教キリスト教イスラームの3つの宗教の聖地です。
しかし、今も多くの宗教的な対立が起こっています。
これまで、エルサレムをめぐって、さまざまな民族が争ってきました。
そのきっかけとなったのが、11世紀末に始まった十字軍の遠征でした。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume013.html
十字軍 ウィキペディアWikipedia)より
十字軍(crusade)とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。
一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。
実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回の十字軍は北アフリカチュニスを目的としている。

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キリスト教と戦争 「愛と平和」を説きつつ戦う論理』 石川明人/著 中公新書 2016年発行
十字軍の時代 (一部抜粋しています)
ジャン・リシャールは『十字軍の精神』(法政大学出版局)で、十字軍は「キリスト教全体の1つの制度」だったと述べている。「当時のキリスト教世界の要求に応えるため、ローマ教皇庁の意図によって生み出され、いくつかの世界公会議によって推薦された制度」であるという。また、十字軍はキリスト教徒にとって「安易な方法によらず、苦しみと死と試練のなかで信仰を証明する機会であった」とも述べている。
7世紀、ムハンマドが天使ジブリール(ガブリエル)から啓示を受けて以降、イスラム教徒は急激に勢力を増し、領土の拡大を目指すようになっていった。やがて彼らは小アジアを掌握し、東ローマ帝国を脅かすようになっていく。そこで、東ローマ帝国のアレクシオス1世から援軍の要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世は、クレルモン会議で聖地回復をアピールし、十字軍を結成するのである。その数は10万人にものぼった。
1099年にはいったんエルサレムを奪回し、王国がたてられた。十字軍がエルサレムに突入した時は、イスラム教徒に対するおぞましい虐殺が行われた。守備隊のみならず、女や子供も殺された。戦闘や虐殺がなされた場所には血が池のようにたまり、十字軍兵士と彼らをのせた馬も、そのなかをじゃぶじゃぶと渡っていったと伝えられている。
しかし、やがてイスラム教徒たちも十字軍との戦いを「聖戦」と見なして反撃を始めた。すぐに形勢は逆転し、キリスト教徒側は危機に瀕するようになっていった。そこで第2回十字軍、そして第3回十字軍が結成されるが、いずれも十分な成果は得られず、以後は宗教的動機というよりも経済的な動機の方が強くなっていった。第4回十字軍は聖地奪回という当初の目的から逸れ、略奪なども横行し、東ローマ帝国に害を及ぼすようになってしまった。その十字軍を招集した教皇インノケンティウス3世も、最初は十字軍の過ちに批判的だったものの、やがてはそれも教会を再統一させるための神の手段だと考えるようになった。十字軍は形骸化しながらも繰り返され、1270年の第7回(数え方によっては第8回)十字軍で終わりとなった。
十字軍といえば、キリスト教徒によるイスラム教徒への攻撃というイメージが強いかもしれない。だが、第1回十字軍は遠征途上のドイツや東欧で多くのユダヤ人を迫害し、第4回十字軍はコンスタンティノーブルで東方正教会を攻撃した。よって全体の背景には、排他的な西欧キリスト教民族主義があったともいえる。
この時代に、テンプル騎士団聖ヨハネ騎士団など騎士修道会も創設された。清貧・貞潔・従順の誓いをたてた騎士たちの修道会は大きな存在感を示し、彼らは巡礼の保護や、貧者・病者の世話などもしたが、もちろんその活動には軍事行動も含まれていたのである。