じじぃの「男はつらいよ・初めての寅さん!陽気なイエスタデイ」

男はつらいよ 第一作 オープニング.MP4 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fToTDHqEco0
男はつらいよ HDリマスター版(第1作) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fi32_e_iUoc
寅さんシリーズの第1作

寅さんの初代マドンナ 光本幸子さん死去 2013年2月22日 スポニチ
劇団新派の舞台などで活躍し、映画「男はつらいよ」の初代マドンナを務めた女優の光本幸子(みつもと・さちこ、本名深谷幸子=ふかや・さちこ)さんが22日午後6時10分、食道がんのため東京都台東区の病院で死去した。69歳。
渥美清さんが主演した映画の人気シリーズ「男はつらいよ」の第1作(69年)で、主人公の寅さんが思いを寄せる帝釈天のお嬢さんを演じた。NHK連続テレビ小説たまゆら」などテレビドラマにも多く出演した。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/02/22/kiji/K20130222005254470.html
『陽気なイエスタデイ』 阿刀田高/著 文藝春秋 2001年発行
初めての寅さん (一部抜粋しています)
テレビで寅さんシリーズの第1回作品<男はつらいよ>1969年製作を見た。
私はこれまでに劇場か、テレビか、ビデオか……とにかく2、3回はこれを見ているはずだ。だが、今あらためて見直しても、やっぱり、
――よいできだなあ――
と感動してしまう。大衆喜劇のあらまほしき姿をしっかり具現している。
登場人物はみんな若い。30年も昔のフィルムなのだから、これは当然のこととしても倍賞千恵子さんなんか細身で、少女っぽくって、昨今の貫録を備えた演技派とはまるでちがっている。化粧も若い女優のそれらしく、
――ああ、この人もアイドルをやっていたんだ――
と実感させられてしまう。
1969年と言えば私は34歳、まだサラリーマンで、この映画はたしか新宿で封切りを見たはずだが、なんの予備知識もなかった。このシリーズが末長く製作され、日本映画の金字塔となることなど、私のみならず、なんぴとも知ることができなかったろうけど、製作会社の松竹がどんな意気込みでこれを作ったのか、監督は? 主演者は? 私はただなにも考えずフラリと見たのだった。
その最初に見たときから
――これはいい――
と思った。とりわけ帝釈天の娘を演ずる光本幸子さん。結果として彼女は寅さんマドンナ第1号の名誉を博すわけだが、これがわるきない。なかなかよろしい。
実を言うと私は当時光本さんがどういう女優なのか、まったく知識がなかった。新人には見えない。和服の着こなしが滅法いい。さわやかに色っぽい。
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帝釈天の娘さんは、いとも無邪気にふるまっていたけれど、本当に寅さんの心を知らなかったのか、というテーマである。知っていながら、ちょっともてあそぶ心理が彼女になかったか、という疑問である。
団子屋のおばちゃんは「お嬢さんもよくないよ」という台詞をひとことだけ発している。これは貴重な発言だ。
女は知っているのである。知っていながらまるで知らないふりをして、ちょっともてあそぶのである。さほどの悪意ではない。
女性の側から言えば自己確認の手段。相手がだれであれ、慕いあがめられるのはわるい気分ではない。男性が一途であればあるほど残酷な喜びが込みあげてくる。
育ちのよい、無邪気なお嬢さんであればこそ、これが鮮やかに現われる。それをさりげなく表出して……。寅さんシリーズの第1作として、まことにふさわしい設定であった。
話しは少し変わるが、今あらためてこの映画を見て、
――シリーズになって当然だよなあ――
とも思った。
できのよさだけではなく、ストーリーの展開にその気配がはっきりと見えている。30年前の私はなにげなく見ていただけだったが、結果論を言うのではなく、これならばシリーズ化したくなる。
あはははは。今さら気がつくのは遅い。遅すぎる。なにげない封切りではあったが、関係者は……たとえば監督、たとえばプロデューサー、主だった立場にあった何人かは、
――シリーズ化するぞ――
そのくらいの意気ごみと期待を胸に隠して第1作を作ったにちがいない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
若いときの渥美清さんの映画「馬鹿まるだし」なども、面白かった。
テキ屋の口上も面白かった。
光本幸子さん? 覚えていない。