じじぃの「人の生きざま_474_原・一平(ものまね)」

原一平さん死去 渥美清さんのものまね 2014年12月12日 nikkansports.com
渥美清さんのものまねなどで知られた、お笑い芸人の原一平さん(本名・日下部護)が4日午前2時に都内の病院で亡くなったことが12日、分かった。76歳だった。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20141212-1408119.html
寅さん芸人・原一平氏 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=velQMLiJbGI
原一平 ウィキペディアWikipedia)より
原 一平(はら いっぺい、本名:日下部 護〈くさかべ まもる〉、1938年3月22日 - 2014年12月4日)は、日本のものまねタレント。北海道上川郡当麻町出身。北海道旭川東高等学校、最終学歴は専修大学経済学部卒業。

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週刊新潮 2015年1・8日号
墓碑銘 寅さんが乗り移ったものまね原一平さん、芸と愛妻 (一部抜粋しています)
渥美清さんが68歳で亡くなったのは平成8月8日。『男はつらいよ』はその前年暮れに公開された48作目が最後になる。車寅次郎のものまねが芸として成立するほど愛されたが、原一平(本名・日下部護)は本人からお墨つきを得ていた。
縁が深かった放送演芸作家の神津友好さんは言う。
「原さんは別格でした。声やしぐさがそっくりなのにとどまらず、寅さんだったら相手にこう接するだろうとなりきっていたのです」
昭和13年旭川に近い当麻生まれ。渥美さんより10年年下だ。父親は行政書士、母親は助産婦。医師を志した時期もある。旭川東高校から専修大学へ進む。36年に卒業、河合楽器に就職。月に7台もピアノを売り、全国でトップを争う猛烈セールスマンに、熱意に加え、自慢の歌声やものまねを披露して買い手の心をつかんだ。42年に幸子さんと結婚。
昇進も早く将来の幹部と目されていたのに、歌とものまねへの思いを絶てず、49年、36歳で芸人に転じた。三波春夫舟木一夫、村田英雄ら30人以上の声帯模写を得意とした。最後は寅さんを模して喝采を浴びる。
渥美さんの下積み時代からの盟友、関敬六さんと谷幹一さんに助けられた。渥美さんと電話で話す機会を関さんに与えられ、緊張しながら本人の声色で自己紹介したとは大胆だ。「雑草のように、踏まれても踏まれても挫折しない芸人を目指しましょう」と励まされたことを生涯忘れなかった。
「原さんのことを、芸人なのにふざけない人だな、と関は話していました」(関敬六さんの妻、恵子さん)
「明るくお話も上手で謙虚でした」(谷幹一さんの妻で女優の玉川みどりさん)
初めて対面したのは51年頃だった。関さんが開いた酒場「けいろく」で、一度限りの共演も実現している。
「ものまねを嫌がる人も多いのに、静かに相手を思いやる渥美さんの人柄に救われました」(神津さん)
衣装や鞄は渥美さんから譲られた本物である。
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渥美さんが亡くなった時、お別れ会で渥美さんの妻から「寅さんファンのために頑張って下さい」と声をかけられて身が引き締まった。
「ものまねとわかっていても寅さんを観たいという期待に、恩返しのようにこたえていました」(浅草演芸ホールや東洋館を運営する東洋興行会長の松倉久幸さん)
震災後、以前からつながりが深かった福島などの被災地を足繁く訪ねている。
「寅さんが来てくれた。と泣いて喜ばれたことに感じ入っていました。こんなに歓迎してもらえるのも今まで生活できたのも、全て寅さん、渥美さんのおかげと痛感していました」(神津さん)
柴又の寅さん記念館などで活躍したが、25年に脳梗塞で倒れ療養を続けていた。26年12月4日、76歳で逝去。