じじぃの「科学・芸術_08_オッカムの剃刀」

William of Ockham

「オッカムのカミソリ」とは 何んですか? 2011/3/16 Yahoo!知恵袋
回答
物理などの法則は、単純であるべきだということです。
14世紀のイギリスの哲学者・神学者であるオッカムがよく使いました。
法則などで、不要なものはそぎ落とす。ですから「オッカムの剃刀」です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1057797620
『10代からの哲学図鑑』 マーカス ウィークス、スティーブン ロー/著 三省堂 2015年発行
常識をはたらかせろ! (一部抜粋しています)
ある程度まで、論理とは高度に系統立てられた形態の「常識」だとみなすことができます。私たちが特に意識せずに推論していることの多くは、論証における推論と同じであり、いちいち論理学の法則にてらしたりしなくても、ある主張から結論が導きだせるかどうかがわかります。しかし、常識は私たちを失望させることもあります。たとえば、昔の天文学者たちは、地球が平らで、太陽は地球上の空を横切るように動いているというののが常識だと思っていました。また時には、常識のように思えることが、考えを正当化する直観にすぎないことがあります。とはいえ、説得力のある論証は論理学に基づいていなければなりませんが、常識や直観にも役割があります。たとえばパラドクスの場合、つまり明らかに妥当な前提や主張が不条理な結論になってしまうとき、私たちは直感的に何かがおかしいと思います。そこで、論理を使い、その論証をもっと注意深く検討することができるのです。
中世の修道士にして哲学者、オッカムのウィリアムは、異なる解釈や論証があって判断を下さねばならぬ場合に、ある種の常識をはたらかせることを奨励しました。哲学者たちが自説を正当化するために、複数の前提に基づいて手の込んだ説明をつくりだすことが多すぎると、ウィリアムは感じていました。そこで、何かについて複数の説明に出会って、そのどれもが互角に思えたら、より単純な説明のほうが正しい可能性が大きいというのです。この原理は、不必要な想定を「剃(そ)り落とす」ということからオッカムの剃刀(かみそり)」と呼ばれました。ディヴィド・ヒュームも、同様のアプローチをしました。ルネ・デカルトら合理主義哲学者たちに対して、自分たちの理論を正当化するのに、なぜ非物質的な世界の存在を主張する必要があるのかと、批判したのです。