じじぃの「人の生きざま_584_李・ナムギョ(韓国の教育学者)」

日本語の五十音図は古代朝鮮伽耶族の子守唄なのか 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QM72NtczTAE
古代朝鮮(3〜6世紀)

すべて韓国起源 「最後の晩餐」


50音順(あいうえお順)はいつ頃からあるのでしょうか?
 2011/3/7 Yahoo!知恵袋
回答
五十音が普及したのは明治時代以降だと思われます。
しかし普及こそしていませんでしたが、五十音といろは歌では、実は五十音の方が50年ほど歴史が古いのです。
梵語や中国語の音韻学の影響を受け、体系的な五十音図として成立したのは平安時代後期。それを最初に提案したのが別の方もおっしゃっていましたが、天台宗の僧侶明覚の著書『反音作法』です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1357070813
李南教 ウィキペディアWikipedia) より
李南教(イ・ナムギョ)は、韓国の教育学者。慶一大学校総長。
韓国毎日新聞に執筆中のコラム「李南教の日本語源流散歩」において、頻繁に根拠不明な韓国起源説を主張している。
ソウル教育大学(現:ソウル教育大学校)卒業。
【著書など】
・怨み (2009/5/13) (日本語の「恨み」の語源は朝鮮語の「泣く」)
・悲しみ (2009/5/27) (「悲しみ」の語源は朝鮮語の「貧乏民」)
【片仮名】
鄭ジェヨン(韓国技術教育大学教授)と小林芳規広島大学名誉教授)の共同研究によると片仮名は新羅の口訣が起源であり、東大寺諷誦文稿にそれを見ることができるという。慶一大学総長の李南教が毎日新聞 (韓国)上の連載コラム「イ・ナムギョの日本語源流散歩」で、次の語句の語源を古代韓国であると主張している。「邪馬台国」「大和」、「対馬」「磯原」、「早良」、「木綿」「柳」、「本音」「建前」「楽しい」、「幸せ」、「恨み」「見舞」、「いらっしゃい」「ありがとう」、「ちちんぷいぷい」、「せーの」「甘い」「我孫子」「卵」、「鋤」「鎌」「肥」「鍬」「菜」「束」などのほとんどの農耕用語、「さらさら」などのほとんどの擬音語。
【事大主義・小中華思想儒教・属国史
自著の中で水野俊平(野平俊水のペンネームでも知られている)は韓国の「情」に言及している。
朝鮮半島史は一貫して外敵との戦いの歴史(周辺の強国に侵略や占領され、事大する歴史)であり、「偉大なる民族史」に憧れる心情は「理解できないことでもない」としている。また、韓国大衆の間で、「朝鮮半島史が日帝親日派により不当に矮小化された」と信じられている為、「植民地史観から歴史を回復(復元)する」という名目で行われる起源説の主張が非常に受け入れられやすく、正統派の歴史学者偽史や起源説に異議を唱えにくい状況になってしまっていると分析している。また、日本人学者が起源説を否定した場合「歴史を歪曲する日本の右翼学者」とレッテルを張られ、深く議論されることはまずない。そのため、韓国の学会ですら全く認められていないか疑問視されているような起源説であっても、否定する言説が表れないため、韓国大衆に「事実」として認識され広まっていくケースが多いとしている。

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『韓vs日「偽史ワールド」』 水野俊平 小学館 2007年発行
民間語源偽史 (一部抜粋しています)
まず、李ナムギョ氏『おもしろい日本語のルーツ』(ネクサスブックス、2002年)。著者の李氏は1947年生まれ、ソウル教育大学と国際大学の日語日文学科を卒業し、九州大学の大学院で教育学を専攻した日本通である。この本の執筆当時には福岡総領事館の領事だったという。李氏はこの本の前書きにあたる「著者の言葉」で次のように述べている。
 私は日本で初めて勤務したときに「日本語と韓国語はとてもよく似ている」と考えていたが、だんだん日本語は近代韓国語が変化して出来たものであるという確信を持つようになった。そして日本を形成している神社・寺・城などすべてのものが渡来韓国人によるものだという歴史的事実を知るようになって、私が持っていた「憎たらしい日本」という観念は憐憫とともに「愛されなければならない日本観」に変っていった。「ああ、日本という国は結局伽耶百済から渡っていった我が民族だったのだな」このような郷愁から私はわが国から渡っていった日本語を1つずつ探し出していった。
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 「カナン(貧しさ)こそ悲しみそれ自体だったのである。それで韓国語の「カナン」という言葉が日本語では「悲しみ」に変ったのである。よく「言葉には魂がある」と言うが、この言葉を噛み締めて見れば「カナン」という言葉から悲しみという言葉を引き出した古代渡来人の傷心を類推することができる。(48頁)
韓国語の「カナン(貧しさ)」は漢字語の「艱難」から変化した言葉である。中世韓国語ではこれをハングルで「カンナン」と表記している。日本語の「かなしみ」の方は形容詞「かなし」に接尾辞「み」がついた形態で、『万葉集』にも「加奈之弥」という表記が見える。ゆえに「カナン」が「悲しみ」になったということは考えられない。
 狩猟でその日その日の生計を維持していた(日本のー引用者)原住民に農作業を行い安定した住居生活を可能にした稲作、すなわち水稲の栽培は新しい幸福を与えたのだが、この稲作も重要なのだが「種(シ)」の意味がどれだけ大きかったのか、(朝鮮半島のー引用者)本国からその種が来たとき、「シワッソ(種が来たぞ)」と言った言葉が「幸せ」という言葉に変ったのである。(92頁)
「ワッショイ」の項で述べたとおり、「ワッソ」などという形態は古代韓国語ではあり得ない。大体、「しあわせ」という言葉自体が室町時代から使われ始めた言葉である。
このように、李氏が述べている「韓国から渡っていった日本語」なるものは、調べてみるとほとんどが民間語源に類する誤った主張である。こんなあやふやな民間語源説を根拠に「日本という国は結局伽耶百済から渡っていった我が民族だった」などと「憐憫」されてはたまらない。
さて、李氏は日本語の五十音図も韓国語で書かれていると主張している。李氏は五十音図の中に「い」「え」「お」が繰り返し現れることに着目し、あれこれと自分なりの研究をした結果、五十音図が古代伽耶人の子守唄であったという結論に達したと言う。「伽耶」とは「加羅」「駕洛」とも呼ばれ、古代朝鮮半島の南西部に栄えた諸国を指す。ともあれ李氏の解説した「子守唄」の内容は次のようなものである。
 あいうえお : ア、イウエノ(どうして、このようにないてるのか)
 かきくけこ : カキ、クケコ(新しい服を着せて?)
 さしすせそ : チャ、シスシソ(さあ、洗いなさい)
 たちつてと : タチッタクヘド(傷ついたとしても)
 なにぬねの : ナ、ノノルレンノ(おい、お前驚いたのか)
 はひふへほ : パッピ、フヘヨ(急いで早く食べなさい)
 まみむめも : マンムガメモ(無理やりだね)
 やいゆえよ : ヤイ、ワウヨ(おい、なぜ泣いているのだ)
 らりるれろ : ナリノルレヨ(私と遊ばないか)
 わいうえを : ワ、イリウヨ(どうして、このように泣いているのだ)
 ん     : ウン?(うん)
李氏によれば、伽耶人の子守唄が五十音図として伝わっているのは「優秀な農耕技術を持っていた伽耶人たちが渡来して弥生文化を開いたため」だそうである。