じじぃの「神話伝説_150_パカル王(マヤ王)」

Mayan King Lord Pacal Tomb Lid Decoded By Gerone Wright 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pcqx_CLAyms
石棺のふたに描かれたレリーフ

石棺の遺骨につけられていたヒスイのマスク

パレンケ ウィキペディアWikipedia)より
パレンケ (Palenque) は、メキシコに存在するマヤ文明の古代都市遺跡で、メキシコの世界遺産の一つである。
【石棺の浮き彫り】
パカル王の石棺の浮き彫りは、横から見るとロケットに乗って操縦桿を握った宇宙飛行士のように見えるため、マヤ文明が宇宙人によって作られた文明であると述べるUFO研究家の間で広く知られている。この説は1968年、スイスのエーリッヒ・フォン・デニケン著『未来の記憶』によって広範に流布された。

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『クリスタル・スカルの2012:超予言』 クリス・モートン/著、南山宏/監訳 徳間書店 2008年発行
マヤと血の捧げ物とスカルの見せる幻視 (一部抜粋しています)
私たちは頑丈な金属製の手摺(てすり)の向こう側にあるパカル王の墓を覗き見た。石棺の蓋(ふた)は、3.66メートル X 2.1メートル、重さ5トンという巨大な乳白色の石灰岩の1枚板だ。パカル王は生きているうちに自分でこの墓を設計したと言われる。この巨大な石棺の蓋は墓室の小さな入り口はとても通れない。おそらく最初に棺が作られ、次に部屋が作られ、最後にその周りにピラミッドと頂上の神殿が築されたのだろう。これはエジプトのピラミッドと同じ方法だ。
石棺の蓋には精巧な彫りが施されている。真ん中に胎児のような姿勢のような姿勢の人物が描かれ、その周りを様々な模様が取り巻き、外枠はありとあらゆるシンボルで埋め尽くされている。真ん中の人物はシンボルの海に浮かんでいるような感じだ(画像参照)。真ん中の人物が誰なのか、何をしているのか、シンボルが何を意味しているのか、などなど考古学界では激しい議論が交わされている。ルースの発見によって、マヤの起源はますます混沌としてきたのである。
1960年代、スイスのエーリッヒ・フォン・デニケンの著書『神々のチャリオット』が大いに物儀を醸した。この本でフォン・デニケンは、世界各地の例を集め、古代、地球には異星から知的生物が来て、それが地球文明発達の引き金となった、という彼の仮説を証明しようとしたのである。宇宙には文字通り何億という星があり、そのどこかに人間以上の進化段階に達している生物がいる可能性は十分にある。その生物が古代の地球人に「神」だと見えたのは当然だ、と彼は言う。
フォン・デニケンによれば、パカルの棺に描かれた人物は、離陸する宇宙船の操縦席に座る宇宙飛行士だという。
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しかしシーリー博士の石棺の蓋の絵の解釈は、フォン・デニケンのものよりは確かに説得力がある。マヤ文字解読を根拠にした解釈だ。マヤは、3つの並行世界という概念を持っていたらしい。死者の場である地下、神々と祖先のいる天上、その中間で我々のいる地上である。そしてこの3つの世界を、地下に根を張り天に向かって枝を広げる聖なる「生命の木」であるパンヤノキで表現した。
シーリー博士の解釈では、人物は死の直後のパカル王だという。右上の角には昼の徴(しるし)である「空の帯」があり、対角線の角には闇と夜がある。蓋の真ん中の十字架で表されるのが「生命の木」であり、天辺には天井の鳥が止まっている。木の枝を表すのが犠牲盆から伸びる2匹の蛇だ。この対称として地下から立ち上がる2匹の蛇の骸骨が描かれる。蛇の骸骨は口を開けて死んだ王を地下世界に飲み込もうとしている。王が胎児のような姿勢をとっているのは、夕日と共に地下世界に下り、そこで新たに生まれるからだという。
王の死と再生の物語は墓の中で完結するのではない。この墓のある「碑銘の神殿」の東西軸を、「十字架の神殿」と呼ばれるもう1つの神殿と結んでそのまま地平線まで伸ばすと、その地点は、太陽が最も南に達する点、つまり冬至に太陽が沈む点になる。すなわち冬至の太陽が沈むと共にパカル王は地下に沈む。太陽が再び北に向かって移動し始めると共に、王も北に向かって北極星を目指して蘇るのだという。つまりパレンケの街全体が王の死と再生をシンボル化するよう作られているのだ。