じじぃの「中国の赤い舌・鄭和艦隊の財宝は南シナ海に眠っている?世界の黄金伝説FILE」

鄭和下西洋 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ycR2zHaRPt4&feature=related
鄭和の巨艦とコロンブスの帆船の模型


600年前の財宝ザクザク!?金陵大報恩寺の地下宮発掘か? 2008年7月2日 レコードチャイナ
2008年7月1日、「中国新聞網」の報道によると、明(1368 - 1644年)代に葛寅亮(ガー・インリャン)が編撰した「金陵梵刹志」に記載されている「金陵大報恩寺の瑠璃塔の地下宮」が、600年の時を経てまもなく発掘されるかもしれないという。
またシャカ(ゴータマ・シッダルータ)の毛髪や、シャカの遺体を火葬した際にできたといわれる珠状の物(仏舎利)などの他、明代の航海家・鄭和(ジョン・ホー)が持ち帰った財宝なども付近に埋蔵されている可能性があるといわれ、その真偽が今明らかにされようとしている。
http://www.recordchina.co.jp/a21079.html
池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 〜中国の赤い舌〜 2015年7月7日 日々徒然
今現在、中国が主張しているのはこの赤い線。”中国の赤い舌”と呼ばれています。
どうしてここが自分の領域だというのでしょうか?
それは明の時代・・・
明時代の武将・鄭和が7回にわたり大船団を率いて航海し、開発したのです。それを理由としています。
しかし・・・当時でも実際に占領していたのはそこに近い国。
http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/44671417.html
『世界の黄金伝説FILE 消えた財宝・軍資金・埋蔵金の謎』 歴史雑学探究倶楽部/編 学研出版 2013年発行
大明国の冒険遠征艦隊 鄭和の艦隊の財宝 (一部抜粋しています)
鄭和(ていわ)は明の時代、永楽帝に使えた宦官で、1405年から7回にわたって、インド洋からアフリカ大陸にまで艦隊を派遣した。さまざまな航海が存在するが、それらの中でももっとも大規模で、かつ予算を使った冒険だろう。
中華帝国の威信を示すがごとく、第1回の航海では62隻の大船団を組み、最大の船は「宝船」と呼ばれた、全長137メートル、9本のマストの巨大なものであった。鄭和艦隊の総員2万7000名。大半が兵士であった。艦隊は磁石式羅針盤、天体観測の六分儀を装備していた。
単純な貿易ばかりでなく、明代の中国は明白な帝国主義を取っていた。つまり、他民族を支配して朝貢を得ようという方針である。
乗員の半数が兵士であったという部分は武力制圧を連想されるが、実際に兵を動員することは少なく、現地有力者の要請があった時、または自衛のため(実際、海賊の襲撃を受けている)などに限られたようである。
第1回の航海の跡、それまで交流のなかった東南アジア諸国から朝貢にやってくるようになり、ひとまずの成功を収めたといえる。その後も大艦隊は派遣され、アフリカからはゾウ、ライオン、キリンなどが運ばれてきた。ことに皇帝は、キリンを喜んだという。
こうした艦隊は当然のように膨大な活動資金が必要であった。確実にセイロンでは、現地の王が鄭和船の財宝を目当てに襲撃してきたため、交戦した記録が残っている。つまり鄭和の船には諸国の朝貢として、数々の財宝が積まれていたと考えられる。
また、これほど巨大な艦隊が、当時の技術力程度で1隻も失われないとは考えづらい。何隻もの財宝を積んだ船が、海の底に沈んでいる可能性は高い。
それでは、鄭和艦隊の船はどこに沈んでいるのだろうか? 実は謎である。

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どうでもいい、じじぃの日記。
中国が南シナ海で人工島の建設を行い、次々と拡大している。
南シナ海(中国の赤い舌)を自国の領海と主張する根拠は明の時代、鄭和が大船団を率いて航海し、開発したからだそうだ。
実は、南シナ海の海底に鄭和艦隊の財宝が眠っていて、その沈没船の引き上げをもくろんでいるという説がある。
ほんとかな。