じじぃの「人の生きざま_576_酒鬼薔薇聖斗(元少年A)」

【閲覧注意】酒鬼薔薇聖斗(当時14歳)が書いた絵が不気味すぎるww 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Dhhoq4tfNeY
酒鬼薔薇聖斗 現在 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nn1J25Erao8
元少年A ホームページ
事件、被害者、家族、社会復帰後の生活について、これまで誰にも明かせなかった胸の内を、包み隠さず、丹念に、精魂込めて赤裸々に書き綴りました。
事件から18年。『冷酷非情なモンスター』の仮面の下に隠された“少年Aの素顔”が、この本の中で浮き彫りになっています。
「少年Aについて知りたければ、この一冊を読めば事足りる」
そう言っても差支えないほどの、究極の「少年A本」です。
一人でも多くの方に手に取っていただければ幸いです。
http://www.sonzainotaerarenaitomeisa.biz/
神戸連続児童殺傷事件 ウィキペディアWikipedia)より
神戸連続児童殺傷事件とは、1997年(平成9年)に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生(以下、「少年」と表記)による連続殺傷事件。別名『酒鬼薔薇事件』『酒鬼薔薇聖斗事件』とも呼ばれる。この事件で、2名が死亡し、3名が重軽傷を負った。
元少年A 公式ホームページ」は、「存在の耐えられない透明さ」と題され、フランスの小説家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』をもじったようなタイトルで、トップページにはプロフィールと、自著『絶歌』の宣伝広告文が掲載されている。

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文藝春秋 2016年1月号
自分にしか関心がない「透明な存在」 【執筆者】吉岡忍(作家) (一部抜粋しています)
バブル経済がはじけ飛んだあとの平成ヒトケタの時代には、異様な事件が相次いだ。幼女連続誘拐殺害事件の宮崎勉逮捕で幕を開け、オウム真理教による松本サリン事件と地下鉄サリン事件で中仕切りをし、神戸市の少年A事件と和歌山カレー事件へとなだれ込んでいった10年間である。
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神戸市須磨区ニュータウンは色とりどりに明るく、静まり返っていた。ここにはかつての貧しさの影も、過酷な労働の跡もない。豊かさに向かって必死に走り、汗水垂らして働いてきた道程の、ここがゴールだった。そして、1世紀に及んだその果てで、「透明な存在」と化した少年Aは「ボクは殺しが愉快でたまらない」と言い、実際にやってのけたのだ。彼は小学6年のとき、図画工作の授業で紙粘土細工のオブジェを作った。脳みそのような形に白や赤の絵の具を塗りたくり、たくさんのカッターナイフの替え刃を埋め込んだ。それは自分でも持てあます命の形状と、それを傷つけたいという衝動がない交ぜとなった作品だった。これを見た教師は、こんな危険なものを作ってはいけない、と言い、家庭訪問して母親にも注意を促した。
以後、少年Aが周囲の者たちに内面をさらすことはなくなった。彼は独り、心の内でグラテスクなアイドルを育て、他者の命を壊す妄想をたくましくし、犯行に突き進んでいくことになる。私はこの事件をたどった本のなかで、未来の少年Aに向けてこう書いた。
「きみはきっと絵を描くだろう。絵かオブジェに取り組むだろう。それが君の言葉になる。それ以外の言葉、詩やエッセイや小説の言葉は、きみがやった残酷な体験に向き合うにはあまりにもストレートで、なまなましすぎる。きみはなまなましさに足を取られ、その意味の全体をとらえられなくなる」「どちらにしても、きみは一人で生きていかなくてはならない。(中洛)その苦しみのまんなかを通過するのでなければ、この先、きみは生きていけない」 (『M/世界の、憂鬱な先端』 文藝春秋、2000年)
事件から18年後、元少年Aは犯行と、その後どう生きてきたかを書いた『絶歌』を出版した。そこには名前を変え、素性を隠し、過去を背負って生きることの苦しさが綴られていた。そこにはウソはないだろう、と私は思う。だが、きわめて技巧的な言葉遣いに、いまもすべての関心が自分に向いていて、他者も、人がほんとうに感じている喜怒哀楽も、われわれを動かしている社会や歴史のダイナミズムも見ていないことが現われていた。
しかし、それは彼だけのことだろうか。目の前にある材料だけでフィクショナルな自己像を作り上げ、自分や自国を誇示し、憐憫し、他人や他国を貶め、攻撃する。国内外にわたる近年の風潮に、私は、いまも平成ヒトケタの時代精神からさほど隔たっていないのだ、という思いを強くする。