田中小実昌 ウィキペディア(Wikipedia)より
田中 小実昌(たなか こみまさ、1925年(大正14年)4月29日 - 2000年(平成12年)2月26日)は、日本の小説家、翻訳家、随筆家。
東京市千駄ヶ谷生まれ。牧師だった父、田中種助の転勤で広島県呉市三津田町で育つ。
1979年、『ミミのこと』『浪曲師朝日丸の話』の2作品で直木賞を受賞。ただしこの二作を雑誌に発表したのは1971年で、単行本『香具師の旅』に入ったため候補になったもので、異例である。同年、戦争体験や父の姿に題材を取った短編集『ポロポロ』(表題作は77年発表)で谷崎潤一郎賞も受賞した。
禿げ頭に手編みの半円形の帽子をかぶり、夏には半ズボンにサンダル履きというラフな格好を好み、「コミさん」の愛称で親しまれる。すっとんきょうな表情で、またウィットに富んだユーモアで場を和まし、往年の深夜番組『11PM』をはじめとして、テレビドラマ、映画、CMといった様々な場面で活躍。ピンク映画でカラミを演じた事もある。
2000年2月26日(日本時間2月27日)、滞在先のアメリカ・ロサンゼルスにて肺炎のため客死した。74歳没。
「ボチボチ書いているだけ。いいかげんな男なんです」と、飄々としていながら自虐的ともとれるような独特の醒めた味わいの言葉を残す。作風のほうもそうしたスタンスに準じたものであった。毛糸で編んだ帽子がトレードマークであった。
次女は小説家の田中りえ。野見山暁治は妻の兄(義兄)。筑紫哲也はいとこ甥(母の姉の孫)。
純粋理性批判 ウィキペディア(Wikipedia)より
『純粋理性批判』(独: Kritik der reinen Vernunft) は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの主著である。
カントは、理性 (Vernunft) がそれ独自の原理 (Prinzip) に従って事物 (Sache, Ding) を認識すると考える。しかし、この原理は、経験に先立って理性に与えられる内在的なものである。そのため、理性自身は、その起源を示すことができないだけでなく、この原則を逸脱して、自らの能力を行使することもできない。
換言すれば、経験は経験以上のことを知りえず、原理は原理に含まれること以上を知りえない。カントは、理性が関連する原則の起源を、経験に先立つアプリオリな認識として、経験に基づかずに成立し、かつ経験のアプリオリな制約である、超越論的 (transzendental) な認識形式に求め、それによって認識理性 (theoretische Vernunft) の原理を明らかにすることに努める。
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『作家という病』 校條剛/著 講談社現代新書 2015年発行
田中小実昌 カバンのなかのカント (一部抜粋しています)
田中小実昌は自他がこしらえたイメージとは違い、几帳面な性格で、周囲の空気を敏感に察知する能力に長けていた。それだけに、自分の期待されている役割を演じることに真面目に取り組んだ。雑誌のグラビア撮影では、酒場で大いに騒ぎ、ボーイソプラノのような高い声で歌って見せたが。自分に要求されているロールを忠実にこなそうとしたからだった。芯が真面目な性格は、同類からも慕われる。新宿の真面目なギター流しマレンコフは田中によくなついていた。
田中は自身に軟派のイメージを抱いて近づいてくる人を喜ばなかった。真面目な真剣なアプローチを愛したのである。ちょっとこちらがふざけた物言いをすると「バカだよ、この人は」というようなセリフを吐く。
こうした田中の性格を理解しないで、勘違いする人間が酒場では多かった。ある晩「まえだ」で田中が、酔っ払って田中をからかったフリーの週刊誌記者に対して激怒した光景に出遭った。元テキヤの組織に属していたことを自慢することもあった田中は、着ていたアロハシャツをもろ肌脱ぎすると「俺を見損なうと、ひどい目にあうぞ」というようなことを叫んで凄んだ。かなりの迫力ではあったが、週刊誌記者はにやついて動じない。
田中小実昌は、世間から捺印された役を演じていた。陽気なコミさん、という役である。酒場でいつも騒いでいるスケベ親父。禿げた頭にはトレードマークの毛糸の帽子だ。しかし、だんだんと周囲の酔っぱらいから喜ばれるマスコット的な存在であることに、疲れる夜もあったということだろう。
田中小実昌がロスアンゼルスで亡くなったのは、2000年2月27日(現地時間では26日)だ。ロスについてからひと月以上が経っていた。
前年にロスから戻ったときには、目が見えなくなっていて、同じ飛行機の親切な人に自宅まで送り届けてもらったという重篤な病状だった。40代前半から患っている糖尿病がとうとう失明まで招いたのだろう。
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田中は、他のほとんどの作業と同じように、日常を嫌い、非日常を愛した。田中の1日は、非日常への愛に固まっている。午前は、抽象的な思考に沈殿する執筆と読書の時間、午後は遮断された時間の世界で過ごす映画の時間、夕方からは脳髄を芯から麻痺させてくれるアルコールの時間である。
常識を嫌い、はた目から非常識と感じられることも平気だった。翻訳の恩人中村能三の葬式にときに、普段着のセーター姿で来たというので、無礼だと怒っていた編集者を知っている。いつも大きな黒い肩掛け鞄のなかにカントの『純粋理性批判』なんかを入れて持ち歩いているこの作家には、形式よりも本質的なことだけが大事だったのだと思う。