じじぃの「人の死にざま_1615_アルマウェル・ハンセン(らい病・医師)」

映画 「ベン・ハー

ハンセン病(らい病)をテーマにした映画やドラマは何かありますか 2009/9/2 Yahoo!知恵袋
回答1
私も、遠藤周作 作、「わたしが・棄てた・女」と松本清張の「砂の器」くらいしか知りませんが、、「わたしが・棄てた・女」は、お勧めいたします。
回答2
ベン・ハー」1959・米 チャールトン・ヘストン出演
ベン・ハーの母親と妹が牢に入れられ ライ病患者となってしまいます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1130168446
写真展『ハンセン病を考えることは、人間を考えること』 日本財団
日本財団は2015年の「世界ハンセン病の日」(1月の最終日曜)に合わせ、ハンセン病について考えてもらおうと「THINK NOW ハンセン病」キャンペーンを実施しています。
その一環として写真展『ハンセン病を考えることは、人間を考えること』を、1月24日から28日まで丸の内オアゾ・◯◯広場にて開催しました。その展示作品と文章を、ここに掲載します。
http://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/photos/
ハンセン病 ウィキペディアWikipedia) より
ハンセン病(Hansen's disease)は、抗酸菌の一種であるらい菌 (Mycobacterium leprae) の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。
病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。
感染経路はらい菌の経鼻・経気道によるものが主流で、感染力は非常に低い。治療法も確立しており、重篤な後遺症を残すことや自らが感染源になることはないが、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じることもある。
2007年の統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は年間約25万人である。一方、近年の日本国内の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では稀な疾病となっている。ハンナ・リデルは日本のハンセン病史に名を刻んだ。
アルマウェル・ハンセン ウィキペディアWikipedia) より
ゲルハール・ヘンリック・アルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrick Armauer Hansen、1841年7月29日 - 1912年2月12日)はらい菌の発見で知られるノルウェーの医者。ハンセン病(旧称:癩病)は彼の名に因む。
当時ハンセン病は家族性かまたはミアスマ(瘴気)によるものであると広く考えられていた。研究を進めるうちにハンセンはこの病気の原因は細菌によるものではないかと考えるようになった。1870年から翌年にかけて仮説を証明するための技術をつけにボンとウィーンに旅行した。1873年、全ての患者かららい菌を発見したことを発表したが、これらが細菌であると主張しなかったため殆ど支持を受けなかった。
ハンセンは1860年代から梅毒を患っていたが、心臓病によって死去した。

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差別の病と生きて 〜ハンセン病のいま〜 2015年12月13日 フジテレビ
【ナビゲーター・語り】井浦新
人類の歴史上もっとも古くから知られ、恐れられてきた病気の一つであるハンセン病
ハンセン病に罹ったというだけで、本人のみならず、家族までもが村八分にされ、社会から強制隔離され、二度と故郷の土を踏めず、前世の祟り、神罰と思い込んで、人生に絶望する人。
こうした差別は「聖書」の時代から続いている。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/151213sabetsu/?pagelink=undefined
12月13日 フジテレビ 「差別の病と生きて 〜ハンセン病のいま〜」 より
顔が変形し、子どもの顔とは思えない腫れた顔の「絵」が出てきた。
これは13歳の子どもを描いた絵。ハンセン病により顔が変形しています。
この見た目に残る後遺症のため、ハンセン病の患者は同じ人間と見なされずに社会からひどい差別を受けてきました。いつの時代、どこの国でも。
20世紀半ば頃まで治療する術がなかったのです。病気に対する誤解が広まったのです。
「業病」 「遺伝病」 「神罰」 「呪い」 「祟り」。
患者たちは世界中で恐れられ、社会から偏見の目で見られてきました。
ハンセン病が治る病気となった今なお、その差別は色濃く残っています。
ハンセン病の患者、「ハンセン病だとわかった途端、周りの人の態度が変わった。自殺しようと思った」
ハンセン病の患者、「汚れた病気、うつる病気、血統・・・。皆がいじめるし、人のなかに出るのが怖かった」
旧約聖書 「レビ記 13章45-46節」
 患部のあるらい病人は、自分の衣服を引き裂き、その髪の毛を乱し、その口ひげをおおって、「汚れている、汚れている」と叫ばなければならない。
 彼は汚れているので、ひとりで住み、その住まいは宿営の外でなければならない。
ハンセン病とはいわば、差別の原点、人類の歴史でもっとも忌み嫌われた病気なのです。
世界中の現場を飛び回るWHO(世界保健機構)ハンセン病制圧大使・笹川陽平は、世界でもっともハンセン病の患者が多い国、インドを訪れた。
ハンセン病を患った人たちは就ける職業が無く、ほとんどの患者・回復者が物乞いの暮らしを余儀なくされている。