じじぃの「神話伝説_146_失われた10部族(北イスラエル)」

The Lost Tribes of Israel (Part 1 of 3) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DHid2qBU_zc


イスラエルの失われた10支族 ウィキペディアWikipedia)より
イスラエルの失われた10支族とは、旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族を指す。
日本語では「失われた10部族」ともいうがどちらが正しいということはない。ただし「失われた10氏族」という表記は誤りである。
サマリア人 ウィキペディアWikipedia)より
サマリア人とは、イスラエル人と、アッシリアからサマリアに来た移民との間に生まれた人々とその子孫のことをいう。
サマリアは北の王国、イスラエルの首都であったが、アッシリアサルゴン2世の攻撃により紀元前721年に陥落。住民は捕囚の民となり指導的地位にあった高位者は強制移民により他の土地に移され 、サマリアにはアッシリアからの移民が移り住んだ。このときイスラエル王国の故地に残ったイスラエル人と、移民との間に生まれた人々がサマリア人と呼ばれた。
このことから、「善きサマリア人」とは、「そのことによって、自分が不利益を被るリスクを顧みず人助けをする行為」を指すようになった。

                            • -

一神教の起源 ─旧約聖書の「神」はどこから来たのか』 山我哲雄/著 筑摩書房 2013年発行
預言者たちと一神教 (一部抜粋しています)
預言者エリヤが登場するのは、前9世紀前半のイスラエル(北)王国であり、オムリ王朝下でこの王国が大いに発展した時代であった。この王朝の開祖オムリとその息子で第2代の王アハブは、北王国で聖書外史料に言及される最初の王たちであり、特にアハブは、シリア、パレスチナでも最も有力な反アッシリア的勢力の1つとしてアッシリア王シャルマナサル3世の碑文にも言及されていた。この時代にサマリアが経済的に大いに発展していた。
アハブの時代のイスラエルが繁栄そた理由の1つは、明らかにフェニキア人との連携があった。フェニキア人は現在のレバノンの海岸地域にあった沿海都市国家シドンとティルスを中心に東地中海の海洋貿易で活躍したセム系の海洋民族で、通商等を通じて経済的繁栄を謳歌し、文化的にも「先進国」であった。
     ・
ホセアはアモスより少し遅れて、北王国の末期に活躍した(前8世紀後半)。この時代には、メソポタミア北部の大国アッシリアのシリア・パレスチナへの遠征が繰り返され、イスラエルもその支配下に組み込まれた。国内では再びクーデターが頻発するようになり、王朝交代が繰り返されるという、きわめて不安定な状況にあった。宗教的には、バアル崇拝が蔓延し、明らかにイスラエル系住民の中にも広がりを見せていた。バアル崇拝を根絶しようとしたイエフ(国王)の試みにもかかわらず、その影響力は増すばかりであったらしい。大地の豊饒をもたらすカナンの嵐の崇拝は、農耕生活に転じて久しいイスラエルの人々の生活にとって、宗教的には適合的であったにちがいない。
     ・
唯一の「救い」であるヤハウェを忘れた以上、イスラエルには裁きが下る。アモスの場合とは異なり、ホセアの目には、その裁きが歴史的・具体的にどういう形を取るのかすでにかなりはっきりと見えていたようである。
 サマリアの住民は、ベト・アベンの子牛のためにおびえ、民はそのために嘆き悲しむ。
 神官たちがその栄光をたたえても、それは彼らから取り去られる。
 それはアッシリアへ運び去られ、大王の貢ぎ物となる。
 エフライムは嘲りを受け、イスラエルは謀のゆえに辱められる。
 サマリアは滅ぼされ、その王は水に浮かぶ泡のようになる。  (ホセ 10.5ー8)
「ベト・アベン」は、「神の家(ベト・エル)」を意味する北王国の国家聖所ベテルの名を、「邪さの家」と蔑称化したものである。王国分裂後、そこには金の子牛の像が置かれた。それがやがてアッシリアの大王の戦利品として運び去られ、サマリアを首都とするイスラエルアッシリアによって滅ぼされる、というのである。すでにアッシリアの支配はイスラエルに及んでおり、イスラエルの王たちは、しばしばアッシリアへの無謀な反抗を試みていた。歴史を見る目のある者からすれば、もはや滅亡は時間の問題ということだったのであろう。
 彼らはエジプトの地に帰ることもできず、アッシリアが彼らの王となる。
 彼らが立ち帰ることを拒んだからだ。剣は町々で荒れ狂い、
 たわ言を言う者を断ち、たくらみのゆえに滅ぼす。
 わが民はかたくなにわたしに背いている。たとえ彼らが天に向かって叫んでも、
 助け起こされることは決してない。              (ホセ 11.5ー7)
ここでは、あたかもアッシリアが、ヤハウェの罰の執行官のような役割で見られている。アモスの場合以上に、ヤハウェはもはや単なるイスラエルの神ではなく、今やアッシリアという世界帝国を自在に用いてイスラエルを」罰する世界神となっている。ここには、著しい神観の普遍化が見られる。前述のように、ホセアの場合もその神観はまだ拝一神教的な段階に留まっていたと考えられるが、ここに見られる神観の普遍化は、後の唯一神観への道を準備するものであったとみることができよう。
厳しい裁きの予告を繰り返しながらも、ホセアは未来に希望を抱いていた。裁きを超えたところに救いがあるという希望である。ホセアと妻の関係とヤハウェイスラエルの関係の二重性に関わっている。妻に対するホセアの感情には、愛憎の入り混じったアンビバレント(自己矛盾、正反対なものの存在)なものがあったようである。裏切られ、罪を憎みながらも、憎みきれない愛情が残っていたのである。ホセアの場合、そのような矛盾した激しい感情が、時として神に「逆流」する。そこにはイスラエルを罰しながらも、それを完全に捨てきれない、未練に悩む「人間的な」神がいる。
     ・
ホセアの審判預言は、文字通りの形で的中した。しかし、彼のこの救済預言の方は、そのままの形では成就しなかった。前725年頃、イスラエル最後の王ホシェアがエジプトと結んでアッシリアに反抗しようとしたので、アッシリアの王シャルマナサル5世はホシェアを廃位して捕えた。サマリアは3年間攻囲され、前722年に陥落した。アッシリア人は、アッシリアの支配に抵抗し滅ぼされた国の住民をそのままにせず、別の土地に強制移住させた。イスラエルの生き残りの人々も、アッシリアエラム地方の各地に散り散りばらばらにされ、移住先の住民と混合されて、民族として解体されてしまったのである(王下17.1ー6)。ホセアが望み見たように、彼らがこの地に帰ってくることは決してなかった。これらの人々は、「失われた10部族」と呼ばれている。