じじぃの「人の死にざま_1606_孫晧(呉の皇帝)」


横山三国志 「孫晧

孫晧って誰のことですか? 2014/5/7 Yahoo!知恵袋
回答
孫皓は中国の三国時代、呉の最後の皇帝です。
その才能を期待され、呉の基礎を築いた名将・孫策の再来・・・と言われるぐらいだったのですが、しばらくして家臣を殺しまくる暴君になってしまいました。
これにより呉は更に弱体化。国内の混乱に乗じて西晋に攻め込まれ、なすすべなく降伏しました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11128729516
皮剥ぎの刑 ウィキペディアWikipedia) より
皮剥ぎの刑とは、罪人の全身の皮膚を刃物などを使って剥ぎ取る処刑法。古代よりオリエント、地中海世界、中国など世界各地で行われていた。
全身の皮膚を失った罪人は、長時間苦しんだ後に死に至る。執行から死に至る長時間の苦痛はもとより、皮をはがされた人体は正視に堪えるものではない。そのため、見せしめとしての意味合いも大きい。 拷問として、体の一部分の皮のみを剥ぐ場合もあった。
【中国】
中国では皮剥ぎの刑を「剥皮」(はくひ)と呼ぶ。
前漢の景帝の御世、皇族の広川王劉去が「生の人を割剥した」との記録が「漢書」にある。
三国時代、呉の暴君・孫晧は人々の顔の皮を剥いでは喜んだ。やがて呉が滅んだ後、晋の司馬炎と碁を打っていた王済が、その場にいた孫晧に戯れに尋ねた。「そなたは呉を治めていたころ、人の顔の皮をはがして脚を断ち切ったということだが、まことですかな?」孫晧が答える。「人臣として君主に礼を失った場合、その者に直ちに刑罰を下したものです」。当然のごとく答える孫晧に王済は恐れをなし、延ばしていた脚を慌てて引っ込めた。
五胡十六国時代前秦の王・苻生は顔の皮を剥がした死刑囚を歌い踊らせて楽しんだ。

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『怖くて読めない世界史 -封印された闇の歴史は、ホントはこんなに恐ろしい!』 歴史の謎を探る会/編 KAWADE夢文庫 2006年発行
拷問魔・孫晧 (一部抜粋しています)
中国の三国時代の、呉の最後の皇帝を孫晧(そんこう)という。三代皇帝の死後、皇帝にふさわしい人物として周囲から推され、皇位を継承することになった。ところが、権力を手にしたとたん、化けの皮がはがれる。残虐非道の暴君へと変身してしまうのだ。
まず、そのときの気分で、人を罰し、拷問にかけるようになる。家臣には、孫晧の前で、目をそらしたというだけで、目をくり抜かれた者もいた。家臣は、おちおち孫晧の前には姿を現すこともできなくなった。
273年には、孫皓の愛妾の一人が、部下を市中にやって、民間人の財産を強奪させた。市中の取り締り役だった陳声は、法に従って処罰した。
すると、愛妾が、孫皓に泣きながら陳声の仕打ちを訴えた。陳声の行為は正しいが、愛妾に泣かれては、皇帝の面目が立たない。そこで、陳声に別の罪をなすりつけて、死刑を宣告。赤々と焼いた鉄のノコギリで、陳声の首に切りつけた。うめき声とともに、肉と脂肪が煙となって立ち上がったという。
その翌年には、孫皓にかわり、一族の孫奮が皇位を継ぐのではないかという噂が流れた。それを知った孫皓は激憤し、孫奮の一族を皆殺しにした。孫奮の母親の墓を掃除した地方の太守まで殺した。
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こんな暴君が治める国家が、長続きするはずもない。晋の軍隊が侵攻してくると、2週間もしないうちに呉は滅亡する。孫晧は捕虜になったものの、処刑はまぬがれ、呉の滅亡の3年後、42歳で死んだ。