じじぃの「人の死にざま_1598_大友・柳太朗(俳優)」

快傑黒頭巾 松島トモ子 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tRSxzO6z3PQ
大友柳太朗

大友柳太朗 ウィキペディアWikipedia) より
>大友 柳太朗(おおとも りゅうたろう、明治45年(1912年)6月5日 - 昭和60年(1985年)9月27日)は、山口県出身の俳優。本名は中富 正三。
(正式な名義は「友」の右上に「丶」を付与した文字だが、一般表示が出来ない)
新国劇出身。戦後の東映時代劇映画で数多く主演を務めた剣豪スター。晩年はテレビの現代劇でも活躍した。
1958年(昭和33年)、『仇討崇禅寺馬場』(1957年・マキノ雅弘監督)での演技により京都映画祭主演男優賞を受賞。同年、シネマスコープ東映スコープ)公開一周年記念として製作された『丹下左膳』シリーズ第1作では「丹下左膳」を、翌1959年(昭和34年)、推理物の時代劇『右門捕物帖』シリーズ第1作『片目の狼』で名探偵「むっつり右門」を演じ当たり役とし、「快傑黒頭巾」と合わせ三つのヒットシリーズを持つ時代劇の大スターとして活躍した。
1985年(昭和60年)9月27日、東京都港区の自宅マンション屋上から飛び降り自殺。73歳没。

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『下世話の作法』 ビートたけし/著 祥伝社 2009年発行
伝説的な役者がいた (一部抜粋しています)
役者が歳をとると、「枯れた演技がいいですね」「円熟の味わい」とか言われて、その気になる人がいる。でも俺からすれば、それはよくないことだと思うんだね。歳をとったら歳をとったなりの演技をするのは、自然のようでいて実は間違っている。
俺がこの歳で役者だったらヤクザの親分か凶悪犯をやりたい。人がよくて穏やかで、朴訥で愛情豊かな老人なんてのはやりたくない。だって生きることへの執念がないもの。芝居だから仕方ない面もあるけど、普通の生き方としたら「枯れた演技」はそのまま死んでいくだけじゃないか。だから俺はリタイアしたじじい役はやりたくないの。その代わり、詐欺師とか殺人犯なら喜んでやる。
前に藤原釜足さんと一緒になったことがある。黒澤作品でも常連の名脇役だけど、その時はもう高齢になっていて、役もよれよれの老人だった。で、藤原さんの演技を見ていたら、足どりはおぼつかないし、ずっと下向いてる。俺の横で共演のやつが感心していた。
「いやあ、藤原さんはうまいなあ。いい年寄りを演じるよなあ」
そしたら「はい、カット」で、藤原さんはそのままマネージャーに抱えられて帰っていっちゃったというね。いい年寄りを「演じる」じゃなくて本物だった。そして藤原さんが立っていた足元を見たら、台詞がものすごくでっかい字で書いてある。カンニングペーパーなんだけど、俺はフロアの柄かと思ったもの。格子柄だと思ったらカンペの文字だった。
役者の面白い話はきりがなくてね。『丹下左膳』シリーズで有名な大友柳太朗さんも伝説になるぐらいの笑えるネタがある。
港町で大友さんがロケをやってたら、近所の見物人が写真を撮ろうとしていた。それに気づいた大友さんが怒って言ったって。
「何やっているんだ」
「いや、写真を1枚」
「こんなところで写真を撮るばかがどこにいる」
ものすごい勢いで怒って、見物人のほうも恐縮しちゃう。そしたら大友さんが続けざまに言った。
「海をバックにしなさい」
港町なんだから、自分を撮るなら海をバックにしろと海のほうに連れて行った。それで丹下左膳なのに両目開いて、おまけに両腕を出してポーズを決めてくれたって。知ってると思うけど丹下左膳は時代劇のヒーローで、右目と右腕を失っているっていう設定だ。その丹下左膳をやってる大友さんが手を出して目を開いている。この写真はまずいでしょ。