じじぃの「人の生きざま_544_満屋裕明(ウイルス学者)」

【紹介】エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明 文春文庫 (堀田 佳男) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=GmZt650AZyQ
満屋裕明教授

エイズ患者

満屋裕明 ウィキペディアWikipedia)より
満屋 裕明(みつや ひろあき、1950年8月9日 - )は、日本のウイルス学者。熊本大学医学部内科学の教授。アメリカ国立癌研究所内科療法部門レトロウイルス感染症部部長。国立国際医療研究センター臨床研究センター長(2012年-)。HIV治療薬の研究を行っている。
1985年、アメリ国立衛生研究所で世界初のHIV治療薬「AZT」を開発した。同年にAZT開発について論文発表をしたが、アメリカでの特許は、実験に協力していたバローズウェルカム社が、満屋に無断で取得してしまった。満屋は同社が高価格でAZTを売り出したことに怒り、さらに新しいHIV治療薬の研究に励んだ。その結果、世界で2番目と3番目のHIV治療薬(「ddⅠ」と「ddC」)も満屋が開発した。なお、満屋がライセンスを企業に与える際には、適切な価格での販売を条件にしている。
2007年には紫綬褒章、2015年には日本学士院賞を受賞。

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Dr.MITSUYA 〜世界初のエイズ治療薬を発見した男〜 2015年10月8日 NHK
約30年前、世界初のエイズ治療薬を発見した日本人医師・満屋裕明(65歳)。現在に続くエイズ治療・対策の道を切り開いた一人の男の奮闘を描く特別番組。
1980年代には「現代の黒死病」と怖れられたエイズは、当初はウイルスの感染力も不明で、多くの研究者や製薬会社は関わろうとしなかった。そんな中、アメリ国立衛生研究所の客員研究員だった満屋裕明は、死の危険を感じながら、当時は不可能と思われていたエイズ治療薬の研究に挑み、87年に世界初のエイズ治療薬を世に送り出した。満屋はその後も、第二、第三、第四のエイズ治療薬を発見・開発し続けている。満屋の発見を機に、現在ではHIVに感染しても治療薬によってウイルスの増殖を抑え、エイズの発症を抑えることが可能となった。
ノーベル賞候補にも挙げられながらこれまでテレビ取材を固辞してきた満屋への取材、当時の関係者の証言、発見に至るまでの驚きのエピソードや顕微鏡内の世界をドラマティックに見せる劇画CGなどを織り交ぜながら、HIVエイズ治療・対策の起源に立つ日本人医師の軌跡や普遍的な智恵、人間関係の機微を描く。
http://www4.nhk.or.jp/P3715/
10月8日 NHK 『Dr.MITSUYA 〜世界初のエイズ治療薬を発見した男〜』 より
Dr.MITSUYA 世界初のエイズ治療薬。
100万分の1。新薬の発見、それは途方もない確率に例えられるほと困難を極める。
医薬品は、まさに人類の英知が生み出した奇跡の結晶だ。
今から30年前、当時は不可能と思われていたエイズ治療薬を世界で初めて発見した男がいる。
「AZT(アジドチミジン)という薬は不治の病であるエイズの患者に劇的な治療効果をもたらすことを突きとめました。この研究で最大の功労者が日本人医師の満屋裕明さんです」
1985年12月31日。アメリカ・ワシントン・ポストに突如、ある日本人が取り上げられた。
当時35歳の若き日本人 満屋裕明。
アメリ国立衛生研究所(NIH)の客員研究員であった満屋は、渡米3年目にしてエイズに対抗する薬を見出した。それ以後、エイズをめぐる状況は一変した。
死に至る病」から治療可能な「慢性疾患」へ。薬剤治療への道が開かれた。
「現代の黒死病」と恐れられたエイズ
当初は多くの研究者や製薬会社も関わろうとしなかった。だが満屋は違った。圧倒的早さで世界初の治療薬を世に送り出した。
満屋は熊本大学医学部の臨床研究棟にいる。満屋の部屋には、外国製のアンティーク照明や絵画が飾られている。医学書は1つもないという。
満屋について友人は「出るところに出れば学問の塊、あるところに行けば冗談の塊」と話す。
熊本大学医学部の教授として多忙を極める毎日だが、月の半分はアメリカ・メリーランド州ベセスダにあるNIHを訪れる。