百人一首読み上げ(朗詠・朗読) | 17番 在原業平朝臣(ありわらのなりひらのあそん) 動画 YouTube
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在原業平
在原業平
在原業平はその自叙伝ともいうべき「伊勢物語」の面白さから、近世に近い人と思っていらっしゃる方もおられるようですが、生まれは825(天長2)年ですから平安時代初期の人物です。
http://www.honnet.jp/metro/rekisi/r231-233/rekishi47-48.html
在原業平 ウィキペディア(Wikipedia) より
在原 業平(ありわら の なりひら、825年(天長2年) - 880年7月9日(元慶4年5月28日))は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。
六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。
全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。
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『「歴史」の意外な結末―事件・人物の隠された「その後」』 日本博学倶楽部/編 PHP文庫 1998年発行
在原業平は東下りどころか天竺に渡っていた? (一部抜粋しています)
平安初期の歌人・在原業平(825〜880)は、「六歌仙人」「三十六歌仙」のひとりに数えられるとともに、「昔男ありけり」の書き出しで始まる『伊勢物語』の主人公としても有名だ。
『伊勢物語』には、彼は名うてのプレイボーイとして描かれいるが、伝説によると、彼が交渉をもった女性は、なんと3733人。
なかでも、彼の色好みを天下にとどらかせたのは、清和天皇(850〜880)の女御の藤原高子(842〜910)とのロマンスである。
彼は、平城天皇(774〜824)の孫だったが、皇位継承コースから完全にはずされて臣籍にくだり、藤原一門の権勢を快く思っていなかった。それで、清和天皇の女御になることの決まった藤原一門の高子に言い寄り、本気になったものらしい。
それで、高子をさらって逃げようとしたところ、高子の兄に奪い返され、高子は女御となって、藤原一門の権勢をいっそう強固なものとする。
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業平の実像は、よなよなしたプレイボーイではなく、がっちりした力持ちのまじめ人間ともいわれている。
ともあれ、この一件のあと、彼は、都にいられなくなり、東下りをする。
ところがなんと、彼が東下りどころか、天竺(インド)まで行っていたという大胆な説があるのだ。