じじぃの「人の死にざま_1584_スピノザ(哲学者)」

PHILOSOPHY - Spinoza 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pVEeXjPiw54
1000ギルダー紙幣 スピノザ

2013.4.9 朝日新聞 政治哲学者ネグリ氏の民主主義観 「市民が共に統治する社会を」 より
17世紀オランダの哲学者スピノザの「絶対的民主主義」という考えが参考になる。
彼は、代表制民主主義のように個人を孤立した一票の存在と捉え ない。個人は、相互関係のネットワークの中に位置づけられる開かれた存在。そのすべてが代表される民主主義を考えた。
私は、イタリアの刑務所にいた時、彼の本を読んでこの考えを知った。(著書で提唱している)「マルチチュード(多様な人々の群れ)」とはこうした結びつきを意味します。

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バールーフ・デ・スピノザ ウィキペディアWikipedia) より
バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza, 1632年11月24日 - 1677年2月21日)は、オランダの哲学者、神学者。一般には、そのラテン語ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)で知られる。デカルトライプニッツと並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。また、ドイツ観念論やフランス現代思想へ強大な影響を与えた。
スピノザの汎神論はプラトン哲学的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論岩波文庫版『エチカ』)に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした。生前のスピノザ自身も、神を信仰する神学者でありながら、無神論者のレッテルを貼られ異端視され、批判を浴びている。
スピノザの肖像は1970年代に流通していたオランダの最高額面の1000ギルダー紙幣に描かれていた。

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スピノザ 人と思想58』 工藤喜作/著 清水書院 1980年発行
【表紙より】
17世紀のヨーロッパにおいて最も繁栄し、信仰において最も自由で、寛容な国とみなされたオランダ。スピノザはこのオランダにユダヤ人として生まれたが、聖書研究によってユダヤ教が批判的となり、ついには教団から破門される。その後、いかなる教会・宗派にも親しまず、自由な哲学者として独自の道を歩む。
無神論者と烙印をおされた彼は、なるほど伝統的な神の概念を否定したけれども、決して神の存在を否定したわけではない。彼にとって問題なのは、純粋な哲学の立場で理性の批判に耐えうる神の概念を確立することであった。すなわち、この世界で人間の自由がいかに達成されるかが彼の哲学の根本問題であったのである。人間の自由、それは社会的には言論・思想の自由、市民の自由であり、哲学的には人間の救済を意味した。彼はこれを主著『エチカ』で達成しようとした。
この時代に、自由を哲学的思索の全面に展開し、倫理・宗教的深みに達したのは彼のみである。

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エチカ―倫理学 (上) (岩波文庫) 文庫 スピノザ/著、畠中尚志/訳 1951年発行 Amazonより
スピノザは『エチカ』の中に自己の哲学思想のすべてを結集させた。典型的な汎神論と決定論のうえに立って万象を永遠の相のもとに眺め、人間の行動と感情を嘆かず笑わず嘲らず、ただひたすら理解しようと努めた。ドイツ観念論体系成立のうえに大きな役割を演じ、また唯物論的世界観のすぐれた先駆的思想でもある。

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『宇宙をつくりだすのは人間の心だ』 フランチェスコ・アルベローニ/著、大久保昭男/訳 草思社 1999年発行
科学は人間を幸福にできるか (一部抜粋しています)
価値あるすべてのもの、私たちが愛し、尊敬し、ほめたたえるすべてのものが、科学の目で見られると、その価値を失い、面目を失って消滅する。私たちは、繊細でやさしい態度をとり、いつくしみにあふれる態度や善意の態度をとる。母親は自分の首にかわいらしい両腕を回して抱きついている幼い息子や赤ん坊をあやし、いつくしむ。あるいは、お互いの瞳を見つめあう2人の恋人たち、仲間を救出するために、火のなかに身を投じる人の勇敢な行為など……。
それがどんな種類の科学であっても、現代の目でもって、注意を払って観察してみると、これらの行為はたちどころにして、その高潔さや私心のなさ、あるいは、寛容さという賞賛に値する特徴を失ってしまうのである。
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この見解は、すでにスピノザのなかにみられる。とシェストフ(ロシアの哲学者)は、次のように述べている。「その著書『エチカ』のなかで、スピノザは、ちょうど(幾何学の)三角形や面積に対するように、神や、知性や、情念をとり扱おうとしている。つまり、彼は自らの哲学用語集から、人間の欲求や願望、闘争などを呼び起こす用語はすべて除去しようとひたすら務めているのである。彼の道徳追求の方法に対しては、善も悪も、美も醜も、善意も悪意も影響することはないと彼は語る。人間は1つの輪であり、無数の輪の1つであり、また、彼が神と呼んだり、時には実体とも呼ぶことのあるすべては無限のものの1つである。スピノザにおいて、認識することは、無数の微粒子のように、またのちにライプニッツが単子(モナド)と呼んだもののように、さらにそののちに、その不滅の法則にしたがって運動する原子や素粒子と呼ばれるもののように、現実世界を理解することであり、したがって、人間や神を理解するという意味をもっている」
したがって、神が人間として、対話者として、生ける神として存在したということはない。科学は価値観や目的を見つけだすことはできない。これはヴィトゲンシュタインが彼らしい明晰さで私たちに繰り返し語ったことである。1930年にケンブリッジで講演した彼は、倫理的、宗教的なあらゆる表現はまるで意味を欠いており、まったくのナンセンスであることを、まことにみごとな表現で述べている。