じじぃの「人の生きざま_539_山崎・豊子(小説家)」

追悼 山崎豊子展 〜不屈の取材、情熱の作家人生〜 タカシマヤ
白い巨塔」「沈まぬ太陽」など、本やドラマ、映画などを通じ、世代を超えて多くの反響を呼ぶ作品を書き続けた作家 山崎豊子。その社会性の強いテーマや複雑に絡み合う人間模様は、徹底した取材から生まれた。
https://www.takashimaya.co.jp/store/special/event/yamasaki.html
山崎豊子 最後の日々 動画 dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x17fneh_%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E5%AD%90-%E6%9C%80%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%80%85_creation
委員会 07 『 作家 山崎豊子追悼 " 不毛地帯 商社と政界の関係 は? " 』 【2013.10.26】 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=38ur3sdRvE4
山崎豊子

NHKスペシャル 「作家 山崎豊子〜戦争と人間を見つめて〜」 2015年9月27日
戦後の日本社会の暗部をえぐる数々の大作を世に問い、おととし、89歳で亡くなった作家・山崎豊子。山崎が死の床でまで書き続けたのは、戦争を経験した日本人の生き様だった。そして、その重厚な作品世界の土台となったのは、膨大な取材だった。山崎は、誰と向き合い、何を考え、どのように戦争と人間を見つめ続けたのか―。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150927
山崎豊子不毛地帯」主人公壱岐正=瀬島龍三の経歴 2013年12月3日 nozawa22 New!
山崎豊子不毛地帯」を読み始めて、シベリアでソ連の尋問される主人公の壱岐正の動静をもっと知りたいと痛感した。「不毛地帯」の中間報告として書いておきたいと思ったら、すでに、nozawa22で書いた部分があった。
http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/nozawa22-new-9c.html
山崎豊子 ウィキペディアWikipedia) より
山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年大正13年)1月2日 - 2013年(平成25年)9月29日)は、日本の小説家。本名、杉本 豊子(すぎもと とよこ)。
初期の作品は船場など大阪の風俗に密着した小説が多く、その頂点が足袋問屋の息子の放蕩・成長を描いた『ぼんち』であり、市川雷蔵主演により映画化された。1961年(昭和36年)『女の勲章』取材中に元同僚と結婚。1963年(昭和38年)より連載を始めた『白い巨塔』は大学病院の現実を描いた鋭い社会性で話題を呼び、田宮二郎主演で映画化されたほか、数回に亘りテレビドラマ化された。これも大阪大学医学部がモデルとなっており、大阪の風俗が作品への味付けとなっている。神戸銀行(現在の三井住友銀行)をモデルとした経済小説、『華麗なる一族』も佐分利信の主演で映画化され、さらに2度に亘りテレビドラマ化された。
その後、テーマ設定を大阪から離し、戦争の非人間性など社会問題一般に広げていった。『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』の戦争3部作の後、日本航空社内の腐敗や航空機事故を扱った、『沈まぬ太陽』を発表した。

                      • -

『小説ほど面白いものはない 山崎豊子 自作を語る3』 山崎豊子/著 新潮社 2009年発行
死に物狂いで書く 長谷川一夫(俳優) X 山崎豊子 (一部抜粋しています)
長谷川 「サンデー毎日」は”あなたの庭”みたいなもんで。よく連載していて。
山崎  いいえ、――うまいですネ(笑)。
長谷川 いや、わたし二十何人からお話いろいろ聞かせてもろうて、ちょっと記者タイプになりますのや(笑)。
山崎  今度、大阪市長の表彰をお受けなさったそうで、おめでとうどざいます、大阪の一市民として何よりもうれしいことで。
長谷川 新歌舞伎座ができてから20年間、勤続できましたから、そいで、大阪文化の発展のために努力したことを感謝するとか、ほめてくれて。関西人やから「よう果たしてくれた」と書いてくれたほうが、ええのになと言うてたんですけど(笑)。
山崎  わたし、向こう(ハワイ)で上方文化の講義してます。それで上方の中の船場の特殊な言語、風習、風俗を……。
     ・
長谷川 『不毛地帯』を書かれたときは、ロッキード事件は予想してはったんですか。
山崎  いいえ、あれは予見とか、カンとかじゃなくて、国会の決算委員会議事録を繰り返し読んでますとね。時の幹事長がゼンソクの治療にたびたびハワイへ行ってると答弁している。ヒントはそこなんで、おかしいと思って、お医者さんに電話かけて「ハワイはゼンソクの治療に効きますか」と言うたら「待ってヨ、ハワイがゼンソクの治療に効くというのは聞いたことがない。そんなのあったら学会の報告ものだ」と答えられた。49年の6月に『不毛地帯』の取材でニューヨークからロスへ飛び、例のロッキード社へ寄ったんです。そしたら、えらい大歓迎、日本はお得意さんですもんネ。非常に歓待され、みな見せてくれたんです。その後ロスからあの小説の壱岐正がパール・ハーバーを見て第二の人生を考えるところを書くためにハワイへ立ち寄ったんですよ。それで、ゼンソクのことを言うたら笑われましてネ。ハワイは一番ゼンソクにかかりやすい所だと。ほとんど毎年、百花繚乱、咲き乱れてますから花粉が舞ってて非常に悪い。余計にヘンだと思うわけですよ。ハワイに行くようにもせかけてロスで密談している。こんな政治的な腐敗はいつまでも許されない。いっか大きな火を噴くだろうと持って書いたんです。ですから糸口はゼンソク、まさにゼンソクのひとことですよ。野党の追及の仕方は甘いんですよね。「そこからロスへいったんでしょう?」「いいえ、私はハワイにおりました。なぜなら私はゼンソクが悪いし、ゼンソクの治療にハワイがいいから」。みな黙ってンですね。野党の人がゼンソクうんぬんで調べればいいわけですよ。
 ハワイの人もロッキードグラマン事件に興味を持っておられる。『不毛地帯』と重ね合わせで読んでらして、ハワイのラジオ放送の方がお正月にワイキキへいかれたら、何万人か泳ぎにくる浜で一人じっと本を読んでる男の人がいる。近寄っていったら、太陽が燦燦と照って、みな裸なのに『不毛地帯』のシベリア篇を読んでるんですって、あの凄惨なところを。アメリカ人の興味の持ち方で面白いのは、日本人って非常に変わってる、どうしてかといったら、せっかちに真珠湾攻撃みたいなことをワッとするかと思ったら、11年もシベリアに黙って抑留されて、じっと我慢している。だいたい、なぜ日本人は正史を書かないのか。アメリカは何年かたつと資料公開しますね。ところが、ソ連は資料公開しませんでしょ。ですから、歴史家が正史として書くとソ連からやられるわけですよ。証拠があるか、と。その時代の立証ってできませんから歴史家は正史として書かない。これはやっぱり小説家が書くもんだと思って書いたんですね。
長谷川 今のお話いろいろ総合すると、作家というのはカンと眼力がなかったらあきまへんね。舞台だったらあそこはダレるからあそこのページ飛ばしてつなぎにシーン入れて華やかにしといて、今度「あの妓(こ)を水揚げするわ」ってワッと笑わせるようなことをしたり、『ぼんち』なんかも脚色の仕方でどうにでも変わっていくけど、原作こさえる時にはテストはないもんネ。
山崎  『不毛地帯』なんかの時にはカンと眼力よりも、やっぱり調べて、事実を積み上げて、その事実を真実にするところに小説の作業がありますねん。ですから、ロッキードグラマンのこと調べた。取材したと言われると、いささか抵抗感じましてね。事実の積み重なりの中から真実を生み出すのが作家の作業であり、小説なんだなと言ってるんですけど、新聞社の方がすぐ「先見性、予見性がある」って言うんですね。とってもいやなんです。だから一つの問題意識を待って毎日毎日積み重ねていった、そこから発見があるんだ、事実が生まれるんだというふうに言うわけなんですね。それで、なるほどと言って感心されながら、二次防のゼンソクの話をしますと、それは何月何日ですかときかれる。それぐらいはご自分で調べられたらいかがですかと言ってんです(笑)。