Maria Eva Duarte de Peron - Documental 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=asJyehKPlhU
エバ・ペロンの魂に迫るリーディングドラマ『サンタ・エビータ』 水夏希インタビュー 宝塚ジャーナル
──彼女の死後、何度か政変もあって、遺体も20年経ってやっと祖国に帰ったそうですね。
遺体があることで偶像として祭り上げられることを恐れる人たちもいて、イタリアやスペインなど転々としたそうです。死んだ後まで本当にドラマティックな運命で、でも今は『聖女』として静かに眠っているそうなので、よかったなと思います。
http://blog.livedoor.jp/enbublog-journal/archives/1831373.html
エバ・ペロン ウィキペディア(Wikipedia)より
マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン(Maria Eva Duarte de Peron、1919年5月7日 - 1952年7月26日)は、アルゼンチンの女優、政治家。
フアン・ペロン大統領と結婚し、ファーストレディとなった後は政治にも介入するようになった。親しみを込めて呼ばれる通称としてエビータ(Evita) と呼ばれる。現在でもアルゼンチン国内では人気が高い。
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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
死後16年間、行方不明になったエバ・ペロンの遺体 (一部抜粋しています)
「エビータ」の愛称で知られるエバ・ペロン(本名はマリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン)。アルゼンチン大統領フアン・ドミンゴ・ペロンの妻として多くの労働者から愛され、女性参政権を実現させるなど、自身も政治の世界で活躍した女性だ。
その類いなる美貌と、私生児として生まれて貧しい幼少時代をすごすという生い立ちが人びとの関心を呼び、小説や映画、演劇などのヒロインとしてたびたび題材となった。
しかし、彼女の寿命は33歳と短かった。1952年7月、子宮がんであっけなくこの世を去ってしまうのだ。
死後、エバを偲(しの)んで国民は1ヵ月のあいだ喪に服し、200万人の人びとが見守る中、彼女の遺体は労働総連盟本部へと移された。エバの遺体は、生前の彼女の意思によりエンバーミング(遺体衛生保全)が施され、死後もまるで生きているかのようにきれいなままであった。
ところが、その後、彼女の遺体は行方不明となってしまうのだ。
実は彼女の夫ペロンが1955年9月に大統領職を失ったことに伴い、ペロニスタ(ペロンの支持派)にエバの遺体を盗まれて旗印として利用されることを恐れた新政府の情報部によって隠されることになったのである。
ブエノスアイレスを発ったエバの遺体はその後ヨーロッパへと渡り、1956年の秋にはイタリアへ到着。
すると、そこで「アルゼンチンで亡くなったイタリア人女性」とされてミラノの墓地に埋葬されることになったのだ。
その後、大統領職を辞した夫がスペインでの隠遁生活を終えようとしたとき、エバの遺体はようやく夫の許に返され、1972年、ようやく2人でアルゼンチンへと戻ることができたのだった。久しぶりに妻の遺体を目にした夫は、彼女が以前のままの姿でいることに感情を抑えることができず、「彼女は死んでいない!」と叫んだと伝わる。