じじぃの「ちょっと怖い話・生れた赤ん坊を殺すのも仕事・間引き!死の壁」

こけしの秘密【都市伝説】 動画 YouTube
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死の壁 養老孟司/著 新潮新書 2004年発行
産婆の背負う重荷 (一部抜粋しています)
深沢七郎に『みちのくの人形たち』という小説があります。作家である「私」が、ひょんなことから知り合った東北の男性の家を訪ねていく。その男性は村人たちからは「旦那さま」と呼ばれていた。
なぜそう呼ばれているのか。男性は、自分の家は代々罪深いことをしている、だから村人はそう呼ぶのだと言います。
その家に、「嫁が産気づいた」と村人がやってきます。「私」はてっきり、その家の奥さんが産婆さんなのかと思います。が、村人はその家から屏風(びょうぶ)を借りただけで帰っていきます。
どういうわけか村人たちは妊婦が産気づくと、その家に屏風を借りにくるようです。翌日、「私」男性と一緒に、屏風を貸した家を訪ねます。家からは線香の匂いが漂ってきます。訪ねた先の家の老婆は「母子とも変りありませんでした」と言いました。
出産が終わった家には、例の屏風が立ててあります。その向こうに母子がいるだろうと思った「私」はあることに気づきます。屏風が逆さに立っているのです。「逆さ屏風」は死者のそばに立てるものなのです。
ではなぜ「母子とも変りありませんでした」なのか。「私」は男性に、あの家で何か不幸があったのではないかと尋ねます。そこでようやく男性は、自分の家の「罪」を語り始めます。
彼の先祖はその村で代々産婆をしていました。産婆ですからもちろん出産を手伝うわけですが、同時に間引きを手伝うことも多かったのです。生まれたばかりの嬰児(えいじ)が産声をあげるまえに産湯のタライの中にいれて呼吸を止めてしまうのです。
屏風は生まれてくる子を生かしたいか、間引きしたいかを産婆に伝えるサインに使われていたのです。逆さならば間引きをしたいという意味です。
すでに男性の家は産婆はやっていないのですが、その村では彼の家から屏風を借りるのがならわしになっていたのです。「母子とも変わりない」というのは、予定通り、産婦は大丈夫で子どもは亡くなった、という意味だったのです。
「私」と男性がこの話をしている部屋にも仏壇があった。そのなかには彼の先祖のお婆さんをモデルにした仏像が飾ってあります。そしてその仏像には両腕がありませんでした。
お婆さんは家業の産婆をやっていました。ということは間引きもやっていたわけです。年をとってからお婆さんはそれまでの「罪を重ねたその手」を切り落としたというのです。自分ではできないから身内にやってもらったそうです。
お婆さんはもちろんのこと、その子孫である男性もいまだにその罪深さを背負っているということでした。

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どうでもいい、じじぃの日記。
1年ぐらい前に、阿刀田高の短編小説『迷路』を読んだ。
こんな話から始まる。
徹ちゃんの家は昔はとても貧乏で、子どもが生まれても育てられない。
「このごろはやらんけどな、昔は、どこの家でも殺してたんだ。生まれて、すぐにな……。間引きって言うんだ。昔っていっても、ずーっと昔だぞ。百年以上も昔。江戸時代だ」
徹ちゃんの家も今は貧乏じゃない。だから間引きをしない。
お姉さんが赤ちゃんを産んで、ある晩、散歩に出た。
赤い月が出ていた。
だれも通らない道を歩いていると、急に気味わるくなった。うしろから……すぐ近くで呼ばれたような気がした。
――背中の赤ちゃんかしら――
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小説の始めがこんな話から始まると、ゾクッとしてしまうのではないだろうか。
コケシは、もともと「子消し」からきているという説がある。