Queen Christina (1933) - Greta Garbo - Trailer 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=G_m9w1KrQxE
クリスティーナ女王
クリスティーナ(スウェーデン女王) ウィキペディア(Wikipedia)より
クリスティーナ(Kristina, 1626年12月8日(グレゴリオ暦12月18日) - 1689年4月19日)は、17世紀のヴァーサ朝スウェーデンの女王(在位:1632年 - 1654年)。グスタフ2世アドルフと王妃マリア・エレオノーラ(ブランデンブルク選帝侯およびプロイセン公ヨハン・ジギスムントの娘)の娘。後世の歴史家は、クリスティーナを「バロックの女王」と呼んだ。スウェーデン普遍主義に則り、フィンランド大公を兼ねた最後のヴァーサ家のスウェーデン君主である。
【備考】
スウェーデン人の作家ストリンドベリの作品に、クリスティーナ女王を題材とした戯曲『クリスティーナ』がある。また、スウェーデン出身のハリウッド女優グレタ・ガルボがクリスティーナを演じた長編映画『クリスチナ女王』(1933年、MGM)がある。
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『文藝春秋』 2014年7月号
ヘルマフロディテ 【執筆者】立花隆(評論家) (一部抜粋しています)
ゴールデンウィークを利用して、スウェーデン、ストックホルムにきている。
スウェーデンにきた直接の理由は、カロリンスカ研究所の脳科学者を取材するため、観光が目的ではないが、せっかくだからノーベル賞の常設展示があるノーベル博物館を見学してきた。
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スウェーデンは北の最大強国として、ヨーロッパ全土を戦乱にまきこんだ30年戦争(新教VS旧教の宗教戦争)で連戦連勝、グスタフ王は北方の新教国の雄として尊敬されたが、1632年戦死した。戦死した父に代り、たった6歳で王位についたのが、クリスティーナ女王だ。男まさりの性格で男のやることは全部男以上にやり、女の子のやることはすべて大きらい。学問が大好きで、あらゆる学問に興味を持ち、1日10時間も勉強した。政治学も学んで、16歳のときから国家の最高会議に出席した。スウェーデン語の外、ドイツ語、フランス語、イタリア語、オランダ語、デンマーク語を自由に話し、あらゆる芸術と文化に通じ、当時ヨーロッパ随一の才女とうたわれた。ヨーロッパの知識人を次々に宮廷に呼び、スウェーデンの文化水準を高めようとした。財力にまかせて招き集められた文化人には、デカルトの外、国際法の祖といわれるグロチウスがいる。手紙を交わしあった文化人には、科学のガッサンディ、思想家のパスカルなどもいた。
彼女は王位につくと、最大の戦勝国でありながら、ヨーロッパ全体を疲弊させた戦争をこれ以上つづけるべきではないとして戦勝国の利益を半分放棄する形でウエストファリアの講和会議をまとめあげた(グロチウスの尽力)。この講和会議を通じて今日まで遵守されている近代主権国家間の利害調整のあり方の基本原則が作りあげられた(ウエストファリア条約)。
国内的には、戦勝の利益を期待していた貴族層の強い不満をかったが、市民層、農民層などの支持を得て、講和を押し通した。そのあと、クリスティーナは政治に興味を失い(もともと彼女は、思想、文化、宗教に深い関心があった)。王位を従兄のカール10世に譲って退位した。ヨーロッパ各国を巡遊した後、ローマに落ち着き、ローマ法王の下で暮らした(墓はサンピエトロ大聖堂の中にある)。このクリスティーナのいかなる男性も及ばない活躍の陰には、単に男まさりの性格というだけではすまない側面がある。
実は彼女は、真性の男女半陰陽者(いまは「性分化疾患者」と呼ばれる)だった。彼女が生まれたときとりあげた産婆は男と判断し、「王子さまが生まれました」と報告した。間違いの原因は彼女が全身毛むくじゃらで、その泣き声が、女の子の泣き声でなく、男そのものの野太いしゃがれ声だったことにあるという。しかし、それにしても産婆が男と女をとりちがえるとはあまりに大きな間違いである。トニー・グリフィス『ストックホルム』は、間違いの原因を資料にもとづき、こう見ている。彼女のクリトリスがあまりにも大きく男性器と見まちがえた。彼女の膣部が半分膠着状態にあり、閉鎖していると見られた。