じじぃの「科学・芸術_198_古代イラン・キュロス大王」

NHK 100分 de 名著 : 旧約聖書 3/4 : 聖書の成立 動画 dailymotion
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キュロス2世のバビロン侵攻

キュロス2世とは ピクシブ百科事典より
キュロス2世とは、古代ペルシアのアケメネス朝の初代国王である。
1万人からなる精鋭部隊「不死隊」を率いてリュディア王国を攻め、一度は引き分けつつもその年のうちに陥落させてしまう。リュディア王クロイソスを当初は処刑するつもりであったが、彼がアポロンに助命を懇願すると奇跡が起きたのでキュロスはこれを思いとどまったという。
リュディアのあとはエラム、さらに新バビロニア帝国までも倒した。バビロニアを倒したキュロスは、「諸王の王」を名乗り、帝国に強制的に移住させられていた諸民族を解放した。
その中にはユダヤ人もいた、キュロスは一神教徒である彼らにも寛大な態度で応じたため、旧約聖書ではキュロスを指してメシア(油を注がれた者、受膏者、救世主)とまで呼ばれている。
「キュロスの円筒印章」には当時キュロスが敷いた、圧政ではない寛大な統治について記されている。
中央アジア方面にも進撃し、アケメネス朝ペルシアはキュロス一代で広大な地域を支配下に納めた。

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『イランを知るための65章』 岡田恵美子、鈴木珠里、北原圭一/編著 赤石書店 2004年発行
王権神授と虚偽の造形 (一部抜粋しています)
古代イランの美術は王朝、宮廷美術である。アケメネス朝ペルシア(前6〜4世紀)、アルサケス朝パルティア(前3〜後3世紀)、サーサーン朝ペルシャ(3〜7世紀)の美術がそれであるが、パルティア美術の本流はメソポタミアないしシリアにあってイランの国内には遺物が少ない。それゆえ、古代イランの美術は残る2つの王朝の美術に代表されるが、いずれも王朝の発祥の地、イラン南部が中心となる。アケメネス朝の美術はアッシリアなど古代オリエントの美術や小アジア、エジプトの先行美術を集大成したもので、装飾性と写実性の調和のとれた様式に特色がある。パルティア美術は、前4世紀後半のアレクサンドロス大王の東征を契機として伝播したギリシャ美術(ヘレニズム)と古代イランの美術を融合したグレコ・イラン式美術である。サーサーン朝美術はアケメネス朝美術、パルティアのグレコ・イラン式美術の伝統にローマ帝国グレコ・ローマ美術を取り入れて融合したもので、形式美、装飾性、写実性のバランスがとれた古典美術である。
以上の3つの美術を代表するのが、王権神授の主題である。これはメソポタミアの伝統を受け継いだものであるが、いずれにせよ王朝の統治を正当化する存在理由を顕示する必要があったのである。
アケメネス朝ではダレイオス1世(在位前522〜前486年)の即位が重要である。同王はアケメネス王家の傍流の出身で王位を奸計を用いて簒奪したといわれる。そのため、王位の正当性を獲得するためにキュロス大王(在位前559〜前530年)の娘と結婚したりしたが、一方ゾロアスター教の神に相応しい人物として選ばれたことを標榜した。イラン北西部のビーソトゥーンにはダレイオス1世の戦勝記念碑があるが、そこで「アフラ・マズダー神の恩寵」によって正当な王位が授与されたことを3ヵ国語銘で述べている。アフラ・マズダー神は有翼の中に描写され、正当な王位の象徴たる環をダレイオス1世に授与しようとしている。同一の文言はペルセポリスなどに残る同王の銘にも必ず明記されている。
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アケメネス朝やセレウコス朝などは特定の宗教に関係した神から正当な王位を授与されるという建前を採用したが、アルサケス朝は祖先神を用いた点に他にみられない特色がある。無論、その支配領域には多数のギリシャ人が有数の都市(セレウキア、スーサなど)に住んでいたので、その指示をとりつけるべく、ギリシャ系の都市と豊饒の女神テュケーを採用しているけれども。
サーサーン朝はギリシャ文化を愛好したアルサケス朝とはことなり、アケメネス朝の文化遺産が残るファールス地方の出身であったので、古代イラン文化の復活を視野に入れていた。また出目がイスタフル(アナーヒター女神殿)のゾロアスター教の神官であったので、政教一致を国是とした。それゆえ、アケメネス朝の場合と同じく、アフラ・マズダー神から正当な王位を授与されたという虚構をアルダシール1世(在位224〜241年)以降の歴代の王は魔崖浮彫に造形化した。特に騎馬像が好まれ、アフラ・マズダー神は国王と同じような人間の姿で描写され、正当な王位の象徴たるディアデム付き環を国王に与えようとしている光景が再現されている。また、歴代の王が発行した銀貨のパフラヴィー文字銘には「アフラ・マズダー神を敬う」という文言が含まれ、さらに「神の子孫」を標榜している。そして、聖火壇で以てゾロアスター教の敬虔な信者であることを宣伝している。
以上、いずれも虚構の図柄であるが、少なくとも支配者が自分の統治の正当性を強く意識していたことは確実である。