じじぃの「科学・芸術_199_イラン的イスラームとは」

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 Zaraθustra Spitama

イラン007ヤズド 〜息づくゾロアスター教の「伝統」 Google ブック検索
●イランにみるゾロアスター教の影響
古代ペルシャの国教であったゾロアスター教は、イランがイスラム化したのちも文化の基層で息づいていると言われる。
イランで信仰されているイスラムシーア派スンニ派イスラム教の多数派)は少数派だが、「神隠れ状態にある12代目イマームがこの世の終わりに現れる」といったゾロアスター教的な終末思想をもつ。また農耕のはじまり(ナウローズ)を新年とする太陽暦にもゾロアスター教の影響が残っているという。
https://books.google.co.jp/books?id=Gm00DQAAQBAJ
『イランを知るための65章』 岡田恵美子、鈴木珠里、北原圭一/編著 赤石書店 2004年発行
イラン的イスラームとは何か? (一部抜粋しています)
古代から現代を通じて一貫して流れるイランの宗教的伝統というのは、果たして存在するのだろうか?筆者は、同じ問題についてエジプトの場合のことを書いたことがある。エジプトの場合には、古代から現代を通じて流れる宗教的伝統の存在には否定的な結論を出した。しかし、エジプトと違って、イランは、少なくとも、他の地域とは際立った特性を持つイラン的イスラーム文化を創り上げることに成功したかのように思われる。そしてこのイラン的イスラームの特性をイスラーム以前をイランの宗教文化にさかのぼって説明する学者も多い。
他方、イラン的イスラームというという主張にはなんとなく人種主義の影がつきまとっている。イスラーム世界で唯一、12イマームシーア派を国教としていることが、イランのイスラームの最大の特徴であるが、20世紀初頭のドイツの歴史学者は、イランがシーア派になったことを、セム族のスンナ派イスラームに対するアーリア人の逆襲であるととらえた。近年におけるもっとも熱心なイラン的イスラームの主導者は、フランス人のアンリ・コルバンである。彼には過去の学者のような露骨な人種主義は見られないが、アラブ人スンナ派対イラン人シーア派の図式で考えているところは同じである。コルバンの影響を強く受けた日本人のイスラーム学者井筒俊彦も『イスラーム文化』の中でこのような二項対立を軸にイスラーム文化論を展開している。彼によれば、イスラームの外面的側面、すなわち、法と倫理が、アラブ・スンナ派イスラームによって代表され、イスラームの内面的側面、すなわち、哲学や神秘主義が、イラン・シーア派イスラームによって代表される。さらにシーア派現象は次のようなイラン人の精神的特性に還元される。
  ……イラン人は一般に本来、著しく幻想的であり、その存在感覚において、いわば体質的に超現実主義者、シュールレアリストであるということであります。この特質はイランの文化や美術によく表われておりますが、この点でイラン人は、感覚的で現実的なアラブと対照的です。しかもその同じイラン人が、いったん外面的世界、つまり現実の世界に戻ってきて、純外面的にものを考えるとなりますと、こんどはたちまち極端にドライな論理的人間に早変わりしてしまう。
  (中略)思考においては徹底的に論理的、存在感覚においては極度に幻想的、この2つを1つに合わせたのが、やや大ざっぱな言い方になりますけれど、一般にイラン人的人間の類型的性格です。
                   (井筒俊彦も『イスラーム文化』 岩波文庫
このような議論は、現在のアラブ世界とイランの宗教文化の差を肌で実感した者には、非常に説得力を持つ。しかし、イラン人とシーア派の結びつきは歴史的には新しい。イランが現在のようにシーア化したのは、16世紀初頭のサファヴィー朝以降のことである。そのサファヴィー朝の母体となった戦闘的スーフィー教団の構成員はトルコ人であり、その長であったシャー・イスマーイールはトルコ語の詩集を残している。彼が、イランを征服し、シーア派を国教と定めたときに、シーア派の学者はイランにはほとんどいなかったので、レバノンから学者を招いたほどである。また、たしかにイラン人は、イスラームの内面を代表する哲学とスーフィズムの分野で大きな貢献をしたが、これはサファヴィー朝以前のことである。いや、哲学・スーフィズムの分野だけでなく、歴史学、文法学、詩などイスラーム文化のあらゆる分野でイラン人の活躍は目覚ましいものがある。
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問題は、彼らの大部分はイラン人であったが、シーア派ではなく、スンナ派であったことである。11世紀後半から12世紀にかけてのセルジューク朝によるスンナ派復興を支えたのは、イラン人宰相ニザームルムルクであり神学者スーフィーのガサーリーであった。サファヴィー朝の時代には、ペルシャ文字は衰退し、彼らのシーア派的熱情を表現した文字は生まれていない。また、サファヴィー朝は、その起源がスーフィー教団であったにもかかわらず、王朝樹立後は、スーフィズムを弾圧したため、かつてのようにめぼしいスーフィーを生み出すことはなかった。それにたいして、サファヴィー朝で、目覚ましく発展したのが、コルバンが「神智学」と呼んだ神秘主義的哲学である。
この神智学は、イブン・スィーナーの哲学、スフラワルデーの照明学、イブン・アラビーの思弁的スーフィズム、ナスィールッディーン・トゥースィーのシーア派神学の総合であり、ミール・ダーマードとその弟子ムッサー・サドラーによって完成された。この神智学の伝統は、現代まで絶えることなく続いているが、コルバンが、この伝統の価値を再発見し、これこそがイラン的イスラームであると喧伝するまでは、西欧においてはまったくその価値を認められていなかった。コルバンは、神智学の中に、ゾロアスター教に始まり、イブン・スィーナー、スフラワルデーへと連なる、イランの叡智の伝統が生きていると考えたのである。
本当にコルバンの言うように、ゾロアスター教はイランのイスラームの中に継承されていったのであろうか。