じじぃの「人の死にざま_1560_リリウオカラニ(ハワイの女王)」

Queen Liliuokalani 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eHTOEfSyu-4
Aloha 'Oe - Queen Lili`uokalani (1838--1917) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fRb9CxUoudA
ハワイ王国 リリウオカラニ

リリウオカラニ ウィキペディアWikipedia)より
リリウオカラニハワイ語:Lili‘uokalani、1838年9月2日 - 1917年11月11日)は、ハワイ王国第8代の女王であり、最後のハワイ王。在位は1891年1月29日 - 1893年1月17日。1862年アメリカ人のジョン・オーウェン・ドミニスと結婚した。
1878年に作詞・作曲して今でも多くの人に親しまれている歌『アロハ・オエ』、 「女王の祈り」(The Queen's Prayer)、『クムリポ』(ハワイ王国創世神話)の英訳などの著作を多く残している。

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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
退位後、1市民となったハワイ王国最後の女王・リリウオカラニ (一部抜粋しています)
年間の平均気温が24度とすごしやすく、日本の主要都市から6〜7時間の飛行時間で到着することから、常に旅行先として人気が高いのがハワイである。
正式名称はアメリカ合衆国の「ハワイ州」(州都はホノルル)で、公用語は英語。また今日までのハワイが経た歴史から、ハワイ語が通じる場合も多く、ワイキキなどでは日本語が通じることも少なくない。
さて、現在ではアメリカ合衆国の州の1つであるハワイだが、かつては王国だった。そして、その国の最後の王位に就いたのがリリウオカラニ女王であった。
リリウオカラニが王位に就いたのは1891年のこと。前王・カラカウアに後継者がいなかったため、彼の妹であるリリウオカラニが女王になったのだ。彼女はこのときすでに53歳になっていたから、彼女の王位就任はかなり異例だったことが読み取れる。
ところが、この時期、ハワイ王国はすでにアメリカの白人たちの手中に落ちようとしている真っ直中だった。19世紀より、新天地を求めてアメリカからやってきた彼ら植民者は、サトウキビの栽培に従事することで富を蓄えていき、やがて農園を経営するようになって政界へも進出。ついにはハワイ王国の人びとと衝突することになったのだ。
そのような中の1893年、「王政を打倒して共和政にせよ!」と声を上げた植民者の白人により革命が起こり、ハワイ最高裁判所判事のサンフォード・ドールが初代大統領に就任。翌年、ハワイ共和国として独立することとなった。
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では、その後、リリウオカラニ元王女はどうなったのだろうか。
ホノルルのワシントン・プレイスに軟禁されていた彼女は、ハワイの神話である『クムリポ』を英文に翻訳したり、自叙伝(『ハワイ女王によるハワイの物語』)を執筆したりして政治とは無縁の世界で暮らした。そして、1917年、1市民としてこの世を去ったのだった(享年79)。
だが、リリウオカラニという女王の名は知る人が少なくても、彼女が作詞作曲した歌だけは現在までも残り続けることになった。
それが、ハワイの歌として有名な「アロハ・オエ」。この歌をつくった人物こそ、リリウオカラニなのだ。彼女が「アロハ・オエ」を作曲したのは1878年のこととされ、ヌアヌ・パリ峠で恋人どうしが別れを惜しんで抱き合う光景を目にしたことがきっかけとなったと伝わる。ちなみに「アロハ・オエ」とはハワイ語で「さようなら あなた」という意味である。
なお、音楽的な才能に恵まれた彼女は150を超える曲をつくったとされ、ハワイ王国の国家を手掛けたのもまた彼女であった。ハワイの歴史に延々と語り継がれる人物の一人が、リリウオカラニ女王なのである。