じじぃの「歴史・思想_271_ハラリ・21 Lessons・移民」

Sweden’s changing views on migrants

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QfMwqk2DkL4

移民に揺れるスウェーデン

Sweden’s Decades-Long Failure to Integrate

2018.12.1 Bloomberg
Rising nationalists are wrong to blame the recent wave of migrants. But the rest of Sweden must own up to an even harder problem.
https://www.bloomberg.com/opinion/articles/2018-12-01/sweden-s-anti-immigration-wave-is-based-on-a-failure-to-integrate

『21 Lessons』

ユヴァル・ノア・ハラリ/著 柴田裕之/訳 2019年発行

9 移民――文化にも良し悪しがあるかもしれない より

グローバル化のおかげで、世界中の文化の差が大幅に縮小したものの、同時に、外国人と出会って、彼らの風変わりなところに度を失うことも、ずっと多くなった。アングロサクソンイングランドとインドのバーラ朝との違いは、現代のイギリスと現代のインドとの違いよりもはるかに大きかった。もっとも、アルフレッド大王の時代には、ブリティッシュ・エアウェイズがデリーとロンドンの間の直行便は提供しなかったが。
仕事や安全やより良い未来を求めてますます多くの人がますます多くの国境を越えるようになったため、外国人と向き合ったり、彼らを同化させたり、追い払ったりする必要に迫られた政治制度や集団的アイデンティティには無理が来ている。それらは、これほど動きがなかった時代に形作られたからだ。この問題が最も差し迫っているのがヨーロッパだ。EUは、フランス人、ドイツ人、スペイン人、ギリシャ人の間の文化的な違いをうまく消化し切れないため、崩壊するかもしれない。そもそも、ヨーロッパは首尾良く多文化の制度を作り上げたからこそこれほど多くの移民を惹きつけることになったのだから、皮肉な話だ。シリア人はサウジアラビアやイラン、ロシア、日本よりもドイツに移民したがる。それは、他の候補地よろもドイツが近いからでもなければ、豊かだからでもなく、移民を歓迎し、受け容れることにかけて、他国をはるかに凌ぐ実績を持っているからだ。
しだいに大きな波となって押し寄せてくる難民や移民に対するヨーロッパ人の反応は複雑で、ヨーロッパのアイデンティティと将来について、激しい議論が巻き起こっている。
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生物学から文化への移り変わりは、専門用語の無意味な変更にすぎないわけではない。それは、良いのも悪いものも含め、広く影響の及ぶ実際的な結果を伴う、根本的な変化だ。まず、文化は生物学よりも順応性がある。つまり、一方では今日の文化差別主義者は従来の人種差別主義者よりも寛容かもしれない。「他の人々」が私たちの文化を採用しさえすれば、対等の人間として受け容れる、というわけだ。その一方で、同化するようにという、はるかに強い圧力を「他の人々」にかける結果や、もし同化できなければ彼らに対して、はるかに厳しい批判を浴びせるという結果になる。
肌の色の濃い人を、肌を白くしないと言って責めることはとてもできないが、人はアフリカ人やイスラム教徒を、西洋文化の規範や価値観を採用できていないと言って非難することはできるし、実際にそうしている。だからといって、そのような非難が必ずしも正当化できるというわけではない。支配的な文化を採用する根拠はほとんどない場合も多いし、採用するのがほぼ不可能な場合も多い。主導権を握っているアメリカ文化に溶け込もうと誠実に努力している。極貧のスラム出身のアフリカ系アメリカ人は、制度化された差別にまず道を阻まれ、その挙句、努力が足りなかったと後から非難され、つらい目に遭うのは自分が悪いと言われてしまう。
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ヨーロッパが、外国人に門戸を開いたままにし、しかもヨーロッパの価値観を共有しない人々によって不安定にならずに済むような中道を見つけ出せるかどうかは、今のところまったく定かではない。もしヨーロッパがそのような道をうまく見つけられれば、その処方箋は、グローバルなレベルでも真似できるかもしれない。逆に、このヨーロッパの試みが失敗に終われば、自由と寛容という自由主義の価値観を信奉するだけでは世界の文化的対立を解決できず、核戦争と生態系の崩壊と技術的破壊を前にして人類を統一できないということになる。もしギリシャ人とドイツ人が運命共同体となることに同意できず、5億の裕福なヨーロッパ人が数百万の貧しい難民を受け容れられないのなら、私たちのグローバルな文明につきまとうはるかに根深い対立の数々を人間が克服する可能性が、どれだけあるだろう?
ヨーロッパと世界全体をもっとうまく統合し、国境も心も開いておくために1つできるのは、テロに対してヒステリックにならないことだろう。ヨーロッパが行っている自由と寛容性の実験が、テロリストに対する過度の恐れのせいで駄目になれば、それはなんとも不孝な話だ。そのときにはテロリスト自身の目標が達成されるばかりでなく、その一握りの狂信者たちに人類の将来についてあまりに大きな発言権を与えることになる。テロは人類のうちの些末で弱い一部の人間の武器にすぎない。それがどのようにして、グローバルな政治を支配するに支配するに至ったのだろう?