じじぃの「人の死にざま_1562_鈴木・貫太郎(政治家)」

歴史秘話ヒストリア : 鈴木貫太郎 / 日本を 無条件降伏に導いた 首相 動画 .dailymotion
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日本のいちばん長い日 映画予告まとめ☆リメイクは豪華キャスト!2015年8月8日公開! 動画 YouTube
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鈴木貫太郎 ウィキペディアWikipedia)より
鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。
海軍士官として海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任、さらに枢密顧問官も兼任した。二・二六事件において襲撃されるが一命を取り留めた。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任している。陸軍の反対を押し切って大東亜戦争終戦に導いた。

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歴史秘話ヒストリア 「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎 太平洋戦争最後の首相」 2015年2月25日 NHK
【案内役】渡邊あゆみ
●エピソード1 妻が見た「二・二六事件」 天皇に愛された夫婦
二・二六事件」で襲撃を受けた鈴木貫太郎)。
見つかった音声テープには、鈴木を撃った兵士に、妻たかが叫んだ言葉が残されています。「とどめだけはどうか待って下さい」。鈴木は宮中の要職、侍従長。たかも昭和天皇の幼少時代の養育係。天皇にとって2人は信頼厚い特別な夫婦でした。天皇は鎮圧を命じ、鈴木も一命を取りとめます。
●エピソード2 まことに異例ではございますが・・・
昭和20年、天皇の懇願もあり、鈴木は首相に就任しました。しかし8月の原爆投下とソ連参戦という事態に、連合国の「ポツダム宣言」受諾による降伏を検討せざるを得なくなります。軍部によるクーデターの危機も抱え、鈴木は、極めて異例な天皇の決断を求めることに。
●エピソード3 畏れ多いことながら 再度の御聖断を!
昭和20年8月14日 最後の御前会議(絵画)
天皇が下した決断=「聖断」で戦争は終結に向かうはずでした。しかし、連合国側の対応に、政府・軍部上層部の間で議論が紛糾。ついに鈴木は1度ならず2度までも天皇に決断を仰ぐことになります。そして8月15日、終戦天皇はこう述べました。「私と肝胆相照した鈴木であったからこそ、出来たのだ」と。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/233.html
2015年7月29日 NHK歴史秘話ヒストリア 「もうひとつの終戦〜日本を愛した外交官グルーの闘い〜」 より
もうひとつの終戦 友との絆を信じて
グル―の演説は大きな批判を浴びます。
戦争の真っ最中に天皇を擁護するのは場違いな発言だ。グル―は天皇と取引きをしているのではないか。
グル―は国務省の指示で、外交の表舞台から外されてしまいます。
それから1年半後、グル―に再びチャンスがめぐってきます。
昭和20(1945)年4月、これまで日本との戦争を主導してきたルーズベルト大統領が急死。代わって大統領になったのは外交経験のほとんどない副大統領のトルーマンでした。
日本についてまったく知識のなかったトルーマンは日本通のグル―に大きな信頼を寄せた。
グル―は国務次官として日本が外交交渉の中心的な役割を任されるようになりました。
このころ、日本とアメリカは沖縄で激しい攻防戦を繰り広げていました。
県民の4人に1人が命を落とすという苛烈な戦闘が行われ、アメリカ側の犠牲者も予想を超えて増えていきます。
さらに、アメリカ軍は日本本土への大規模な上陸作戦の計画を着々と進めていました。
対する日本側も国民を総動員し、本土決戦を決意します。
もし、このまま本土上陸作戦が実行されれば、日米双方に莫大な犠牲者が出ることは避けられません。
グル―、「このままでは日本中が戦場になり、多くの命が失われる、なにか私にできることはないのか」
ちょうどその時、思わぬニュースが飛び込んできました。日本でかつての友人鈴木貫太郎が首相に就任したのです。
「この重大な時のあたって、もう他に人はいない。頼むからどうかまげて承知してもらいたい」(侍従長の回想)。
鈴木の首相就任は天皇の要請によるものだった。
グル―、「あの鈴木となら交渉の余地がある。鈴木となら日本を戦争終結に導けるかもしれない。動くなら今しかない」
鈴木貫太郎二・二六事件のとき事件前夜、たか夫人と共に駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーの招待を受けて夕食会に出席し会っていた。
グル―はホワイトハウスに向かいます。(昭和20年5月28日)
そして、トルーマン大統領に日本に向けて戦争終結の条件を示した声明文を出すようにトルーマン大統領に訴えたのです。
グル―、「日本が降伏を拒む最大の理由は降伏などしたら、天皇を中心とした国のあり方が永久に破壊されてしまうと信じてしまうことにあります。ですから、戦後の政治体制は日本人の決定に任せると保証してやれば彼らの面目が保たれたと感じるはずです」(グル―の回顧録)。
日本が降伏する条件、それは天皇の地位を保証することだと、グル―は1時間にわたって大統領を説得しました。
トルーマンはこの提案に同意し、後にポツダム宣言となる宣言文の草案の作成を命じました。そして、トルーマンがドイツ・ポツダムに出発する4日前に宣言案が手渡されました。
しかし、ポツダム宣言書にはグル―が望んでいた天皇に関する記述はなかったのです。