歴史秘話ヒストリア 日本を愛した外交官グルーの闘い 2015年7月29日 150729 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iRgO5Yd5wcE
歴史秘話ヒストリア : 鈴木貫太郎 / 日本を 無条件降伏に導いた 首相 動画 .dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x2imnii
ジョセフ・グルー
ジョセフ・グルー ウィキペディア(Wikipedia)より
ジョセフ・クラーク・グルー(Joseph Clark Grew、1880年5月27日 - 1965年5月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。日米開戦時の在日本アメリカ合衆国大使で知日派として知られ、日本の政財界に強力なパイプを持ち、日本の本土決戦回避に尽力した。
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歴史秘話ヒストリア 「もうひとつの終戦〜日本を愛した外交官グルーの闘い〜」 2015年7月29日 NHK
【案内役】渡邊あゆみ
●エピソード1 日米開戦を防げ!
グルーは昭和天皇の意外な素顔を知り、驚く(再現イメージ+写真)
昭和7年、アメリカの大使として日本に赴任したグルーは、愛犬に起こった出来事を通じて、昭和天皇を敬愛するようになります。日本の政治家と親交を結び、日米の緊張緩和につとめる頃「二・二六事件」も発生。そして開戦が迫るなか、グルーは戦争回避のための日米政府首脳の会談実現に奔走しますが…
●エピソード2 平和のために立ち上がれ!
昭和20年、グルーは日本の深い知識や経験を買われ、国務次官として終戦工作を任されます。日本本土侵攻によって日米両国が破滅的な被害を出す前に、外交交渉で戦争を終らせようと考えたグルーは。天皇の地位の保証を条件に、日本の降伏を求める声明案、のちのポツダム宣言の草稿作成を始めます。
●エピソード3 書きかえられたポツダム宣言
ポツダム宣言(原文) 草稿の天皇に関する記述は削除されていた
グルーたちのポツダム宣言草稿は「皇室のもとでの立憲君主制」を日本に認めていました。しかし、発表直前に草稿は書きかえられ、それらは削除されます。日本は、天皇に触れていないこの宣言を受諾しませんでした。原爆投下、ソ連の対日参戦など絶望的状況が続発するなか、グルーは立ち上がります。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/252.html
2015年7月29日 NHK歴史秘話ヒストリア 「もうひとつの終戦〜日本を愛した外交官グルーの闘い〜」 より
もうひとつの終戦 友との絆を信じて
グル―の演説は大きな批判を浴びます。
戦争の真っ最中に天皇を擁護するのは場違いな発言だ。グル―は天皇と取引きをしているのではないか。
グル―は国務省の指示で、外交の表舞台から外されてしまいます。
それから1年半後、グル―に再びチャンスがめぐってきます。
昭和20(1945)年4月、これまで日本との戦争を主導してきたルーズベルト大統領が急死。代わって大統領になったのは外交経験のほとんどない副大統領のトルーマンでした。
日本についてまったく知識のなかったトルーマンは日本通のグル―に大きな信頼を寄せた。
グル―は国務次官として日本が外交交渉の中心的な役割を任されるようになりました。
このころ、日本とアメリカは沖縄で激しい攻防戦を繰り広げていました。
県民の4人に1人が命を落とすという苛烈な戦闘が行われ、アメリカ側の犠牲者も予想を超えて増えていきます。
さらに、アメリカ軍は日本本土への大規模な上陸作戦の計画を着々と進めていました。
対する日本側も国民を総動員し、本土決戦を決意します。
もし、このまま本土上陸作戦が実行されれば、日米双方に莫大な犠牲者が出ることは避けられません。
グル―、「このままでは日本中が戦場になり、多くの命が失われる、なにか私にできることはないのか」
ちょうどその時、思わぬニュースが飛び込んできました。日本でかつての友人鈴木貫太郎が首相に就任したのです。
「この重大な時のあたって、もう他に人はいない。頼むからどうかまげて承知してもらいたい」(侍従長の回想)。
鈴木の首相就任は天皇の要請によるものだった。
グル―、「あの鈴木となら交渉の余地がある。鈴木となら日本を戦争終結に導けるかもしれない。動くなら今しかない」
鈴木貫太郎は二・二六事件のとき事件前夜、たか夫人と共に駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーの招待を受けて夕食会に出席し会っていた。
グル―はホワイトハウスに向かいます。(昭和20年5月28日)
そして、トルーマン大統領に日本に向けて戦争終結の条件を示した声明文を出すようにトルーマン大統領に訴えたのです。
グル―、「日本が降伏を拒む最大の理由は降伏などしたら、天皇を中心とした国のあり方が永久に破壊されてしまうと信じてしまうことにあります。ですから、戦後の政治体制は日本人の決定に任せると保証してやれば彼らの面目が保たれたと感じるはずです」(グル―の回顧録)。
日本が降伏する条件、それは天皇の地位を保証することだと、グル―は1時間にわたって大統領を説得しました。
トルーマンはこの提案に同意し、後にポツダム宣言となる宣言文の草案の作成を命じました。そして、トルーマンがドイツ・ポツダムに出発する4日前に宣言案が手渡されました。
しかし、ポツダム宣言書にはグル―が望んでいた天皇に関する記述はなかったのです。