じじぃの「人の死にざま_1552_トーマス・ジェファーソン(政治家)」

#03 Thomas Jefferson 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NokpNOkuSYY
バージニア州

トーマス・ジェファーソン コトバンク より
ジェファーソン(Thomas Jefferson、1743〜1826)
米国の政治家。第3代大統領。在任1801〜1809。独立運動に参加して、「独立宣言」を起草。国務長官・副大統領を経て、大統領となった。貿易の改善、ルイジアナ州の購入などの功績を残す。退任後には、バージニア大学を創立。

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『知られざる世界史 あの人の「幕引き」』 歴史の謎研究会/編 青春文庫 2005年発行
ジェファーソン (一部抜粋しています)
ジェファーソンは、独立戦争の多くのリーダーたちと同様、大きな農園主の家に生まれ、父親は郡の下院議員を務めており、本人は弁護士となり同時にバージニア植民地の下院議員にもなった、いわばエリートだ。
1774年に『イギリス領アメリカの諸権利に関する概観』を著しており、反英国議会を否定する旗幟を鮮明にしていた独立軍きっての論客だったことが、起草者に選ばれた理由だったと思われる。そして自分が国務長官を務めた同郷のワシントンにかわったアダムズを破って、1801年に大統領に就任。以後25年間にわたって、マディソン、モンローとつづくバージニア州出身者による王朝ともいうべき合衆国初期政権が誕生したのだった。
大統領時代のいちばん大きな仕事は、1803年にルイジアナ地方をフランスから購入したことだろう。
現在のルイジアナ州を含む15州分の土地を併合したため、このとき合衆国の国土は倍増している。
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さまざまな働きかけが功を奏して、アカデミー設立から、大学設立許可までわずか4年、さらに1年後には自ら学長に就任して校舎の設計まで手がける。
法律のようにとくに専門的な学校に通ったわけではないが、ジェファーソンは科学、農業、音楽に加えて建築にも造詣が深く自分で設計することもまた喜びだったようだ。
いまではアメリカの名門校となっているバージニア大学の開校は1825年、それを待っていあたかのように静かな死を迎えたジェファーソンは、満足して死んでいったに違いない。
そしていかにも彼らしく、墓碑銘も自作だ。「トーマス・ジェファーソンここに埋葬される」という普通の墓誌につづく、自分でつけたキャッチフレーズは、「アメリカ独立宣言の起草者、バージニア信教自由法案の起草者、そしてバージニア大学の父」というもので、どこにも大統領だったことには触れていない。