じじぃの「人の生きざま_526_森田・正光(気象予報士)」

ごきげんよう 森田正光 &根本美緒  5月1日[720p] 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=h6sZZ3bkXNY
森田正光 ウィキペディアWikipedia)より
森田 正光(もりた まさみつ、1950年4月3日 - )は、愛知県名古屋市出身の気象予報士

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『けっこう凄い人』 泉麻人/著 新潮文庫 1992年発行
お天気兄さんのハニカミ 森田正光★気象解説予報者 (一部抜粋しています)
さて、森田正光は従来の予報解説員のスタイルからはかなり外れたタイプである。お天気通の方は「あー、あの人ねぇ……」と思われる方も多いでしょうが、天気予報をちゃんとやる人(局アナやタレントといった天気シロートがコメントする予報もあるので……)にしては、若い。34歳だが、見た目には20代後半くらいに映る。
軽いノリで、お笑いタレントが言ったりするような冗談などもたまにははさみ込んだりするので、「どこかのテレフォンショッピングもやってるような駈け出しのタレント」と誤解されることもあるかも知れない。
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ところで、彼のような毎日毎日お天気の解説ばかりしている人ってのは、一体どういう青春時代を送ってきた人なのだろうか。その辺が一番気になるところだ。
「やっぱり小学校の頃って、百葉箱の温度計ばっかり見つめていたんですか?」
そういう質問をついしたくなる。
「よく聞かれるんですけど、僕は気象をかじり出したのって、この気象協会に入社してからなんですよ。小学校の頃は”科学クラブ”ってのに入ってて、確かに天文の方は好きだったんですけど、天気、気象の方はあまり興味がなかったですね」
名古屋市熱田区の出身、星が好きで、学校にある天体望遠鏡で夜空を眺めたり、プラネタリウムに出掛けたりすることは多かった。それと、趣味は切手収集。
まぁ一般的には「クライ」と言われやすいライフスタイルであるが、僕も先述したような”異常気象ファイル”とやはり切手収集を趣味にしていたわけで、何も言えない。
中、高校と体操部で器械体操にチャレンジするが、高校のとき、吊り輪から転落し、くるぶしにヒビを入れて退部。そう言えば僕も中、高とサッカーをやっていたのだが、高2の秋に十二指腸潰瘍になって退部した経歴がある。似ている。天体や切手収集に走る奴ってのは、いわゆる”スポーツ馬鹿”のラインには生来、乗れない運命にあるのかも知れない。
大学受験で、志望した大学もパスするのだが、教師の勧めではじめた名古屋気象協会でのバイトがおもしろくなって、結局、気象協会に入社する。
「ほんとに何となく受けて、いつの間にか天気図書いてた、って感じなんです。バイトがおもしろい、っていうのは、決して天気予報の仕事に興味をもったってことじゃなくて、ある程度やれば給料が貰えちゃう、みたいなおもしろさ。入社して初めの頃は暗号で送られてくる海上気象概況の解読とかをやらされまして。これはもぉ俺はダメだ、と思ったこともありました」
この辺で、「日本気象協会」という団体の説明を簡単にしておこう。
日本気象協会」と「気象庁」とは別組織だ。気象庁は国営の官長だが、日本気象協会は、気象庁の予報官が発表した天気予報を企業や一般の視聴者に向けて解説、提供サービスを行なう民間企業である。
つまり、森田氏たち解説員は予報をする人ではなく、予報に各々の気象知識を加味させて一般にうまく伝える人、である。
そういった解説サービス業務もいろいろあって、船舶向けの海上気象情報から、電話177番の予報解説、企業向けのもの、ラジオ、てれび、そして気象協会は東京だけでなく、日本各地の各都市に独立した形で設置されている。
「僕は本来、名古屋の気象協会の人間なんですけど、1974年ですか、研修でこっち来ていろいろやらされてるときに、ラジオの気象協会が変に評判良くて、結局ずーっと東京に残ってるんです。友達も親戚もみんな向こうだから、早く帰りたいんです、ほんとは」