じじぃの「神話伝説_125_ヤーヌス(ローマ神話の神)」

JANUS: The Relevance of The Roman Deity / Month of January 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JhWVyLw3Wg4
 ローマ神話 「ヤヌス

ヤーヌス ウィキペディアWikipedia)より
ヤーヌス(ヤヌス Janus)は、ローマ神話の出入り口と扉の神。前後2つの顔を持つのが特徴である。表現上、左右に別々の顔を持つように描く場合もある。一年の終わりと始まりの境界に位置し、1月を司る神である。 入り口の神でもあるため、物事の始まりの神でもあった。

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『歴史随想パッチワーク』 犬養道子/著 中央公論新社 2008年発行
過去と未来と (一部抜粋しています)
ローマ神話の中に、ヤヌスという男神が出て来る。左手に鍵を、右手に笏(しゃく)を持つ彼の顔は2つ。前向きの顔と、うしろ向きの顔。ローマ神話の神々はギリシャ神話の神々同様、きまった職務を持っていた。ヤヌスの仕事は、日の出・日没はもちろん、他のすべてのことがらの、はじめと終わり、または未来と過去とを司るだいじなもの。
ローマ時代の都市は、ギリシャその他の多くの都市同様に、出入りのための門を持っていた。都に入るためには門を通る。出るためにも門を通る。門は、日の出と共に開かれ、日没とともに閉じられたから、その開閉は都市内の仕事さまざまの、けじめをつけるものだった。各自の家の小さな門とはちがう。公の全員のための門。アーケイド、もしくはアーカイドとされは呼ばれていた。2つの顔を持つヤヌスは、したがってアーケイドの神でもあったのだ。
面白いことに、彼には正面を向く顔はない。前向きかうしろ向きか、2つだけ。未来か過去か、2つだけ。
面白いとは思うけれど、そしてまた、「いま、現在」はたちまちのうちに過去の中に走り込んでゆくとは知っているけれど、もし私がヤヌスの顔を描けと言われたとするなら、やはりこちらを見ている正面を描く。ただし、左右に、未来を見る横顔と、過去を見つめる横顔とを、影のごとくに大きくくっつけて、さあ、どんな風に描いたらよかろうか。やさしくはない。
しかし、走り去って過去の中に次々に入ってゆくものこそ実は今をつくり出しているのであって、どのように「つくり出させるか」こそ大問題なのではなかろうか。必要なのは、かしこく忘れる。
かしこく思い出し記憶にとどめる。
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ローマ神話に出される2つの顔を持つヤヌスの、「過去の方に向いている顔」の表情は、実は複雑極まりないものなのだ。過去とひとくちに言うけれど、「過去」とはいったい、何なのか。ヤヌス神の任務の「はじめ」とはいったい何なのか。それぞ大問題。そもそも人間界の歴史、つまりヤヌス司る人間社会のアーケイドに、「はじめ」はあったのか。
あった、たしかにあったとするのがキリスト教歴史観と名づけられる学問分野。それはまた、「はじめがあったからには、終わりも必ずある」とはっきり言う。それに対して、いや、はじめも終わりもない、永劫にぐりぎると「生は(時は)まわりつづける(むつかしいことばでは『永劫回帰』。インド、中国経由日本に入った仏教では六道輪廻)と断言する歴史学派もある。ニイチェとかエンゲルスなど、ドイツの、つまり非仏教圏の哲学者たちも、永劫回帰説に傾いていた。
キリスト教歴史観永劫回帰哲学の歴史観。2つともに、「時間の意味」を問うているのだけれど、同じひとつの問いへの答え方はそれぞれに全くちがうから、可愛想なヤヌスは、さぞや困っていることだろう。過去の方を向いているヤヌスの表情は義理にも明るくはない筈である。