~人生につまずいたら~ 河合隼雄先生の心に響く言葉【名言】 動画 YouTube
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100分 de 名著 サルトル『実存主義とは何か』 2015年11月18日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光、武内陶子 【語り】小口貴子 【ゲスト講師】海老坂武(フランス文学者)
●第3回 地獄とは他人のことだ
私は好奇心から鍵穴を覗いている。私はひとりでその行為に没頭している。突然廊下で足音が聞こえた。誰かが私にまなざしを向けている。私はもう鍵穴を覗くことはできない。
私は、他者からまなざしを向けられているかぎり、他者の対象にすぎず、そして、対象であるかぎり、自由が侵害されている。そこで、私は、自由を取り戻すために、対象であることから脱却しなければならない。そのために、今度は、私が他者にまなざしを向け返す必要がある。こうして、私と他者との関係は、まなざしを向けるか、まなざしを向けられるかの緊張した「相克関係」になるというのである。
他人から何ものかとして見られることは、わたしを1つの存在として凝固させ、他者のまなざしは、わたしを対自から即自存在に変じさせる。地獄とは他人である
サルトルは自らのアンガージュマン
https://sp.nhk-book.co.jp/text/detail/index.php?webCode=62230562015
『キリスト教のことが面白いほどわかる本』 鹿嶋春平太/著 中経出版 2003年発行
「死んで終わりではない」という確信が、究極の癒しだった より
ところで、「人はどうせ死んで消滅しておしまい」という意識は、愛するものと死別したときの苦しみを激烈にするだけではない、人間を「虚無の世界」に引きずり込んでいるんだよ。
ε・・з 虚無の世界?
考えてごらん。いずれみんな消滅するのなら、ものごとに「価値」というものを意識し認めることは、つまるところはできない。
ε・・з んー。たしかに、みんな消滅しちゃうんだったら、がんばっても意味ない気がする。
そうだよね。たとえば、「私はこれこれのことをしようと思います。とても価値あることだから」と言ったとしよう。
「でも、どうせ死んだら終わりでしょ。結局、なんにも意味ないんじゃない?」と言われたら、ギャフンだよね。
われれわの意識にこの世界のイメージだけしかなかったら、そういう虚無的な状況に置かれてしまう。虚無とはニヒルともいって、なんにも価値が認められないことだ。
ε・・з ニヒリストって、そういう人のことをいうのかー。
無常感は人々の価値意識を刺す毒のようなもの
五感で認知できる物質世界では、すべてのものは、変化し消滅する。
ε・・з 諸行無常……だね。
われわれが生きているこの物理ワールドというのは、無常感という毒を内に隠し持っているんだよ。
ところがイエスはそれと対極な、永続するワールドのイメージを提供したんだね。
ε・・з 毒だなんて、ちょっとおおげさな感じ。
そうだろうか。この毒は、触れると人間の意欲がしぼんでいかざるを得なくなる、意地の悪い毒だよ。
われわれがそれに鈍感になっているだけじゃないだろうか。この十年来、日本では「ひきこもり」といわれる人が急増しているよね。若者が中心だけれども、40代、50代の人も結構いる。これが1990年代に入ったころには、すでに60万人くらいいると推定されていた。
ε・・з そんなにたくさん!?
ところがそれが、60万人といわれるようになり、70〜80万人になり、2000年代に入ったら、100万人はいるのではないか、とまでいわれるようになってきている。日本に顕著な、世界でも異様な事態。このままでは国は滅びてしまうよ。
ε・・з でもどうして日本に顕著なの?
日本は世界でも類がないほど、無常意識の強い国なんだ。この世のことはすべて常ならず、いずれ終わってしまうという意識。
そこから「わび、さび、あわれ」という独特の美観も生まれているくらいだから。
でもね。無常意識は人々の価値意識を刺すんだ。「どうせ死んでおしまいでしょ」 「価値なんかない」とね。
毒針で刺して、生きる意識をしぼませてしまう。
なにかしようと思っても、強いやる気が持てないようにしてしまうんだ。
ε・・з そうだったんだ……。でもどうして、最近になってひきこまりが増えたの?
戦後は、空腹が「必ずやってくる死」を意識させなかった
日本は、第二次世界大戦で負けたよね。
戦争で他国に任されるというのは、建国このかた初めての体験だった。そして戦後、みんなが壊滅状態の家や生活、国を復興させようと燃えた。
戦争末期から終戦直後には、だれもおなかを減らした状態で生きていた。
ε・・з 食べられないのは、つらいよね。
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だけど、この意欲はもともと深い哲学や理念に裏づけられたものではない。貧しさからくる情念のようなものだからね。
飢えの恐怖がなくなったら機能しなくなるんだ。
アルバイトの時間給で、コンビニでかんたんに食べ物が買えるようになるとね。
いまの時代に生まれ育つ人間は、先のことにも比較的長時間、意識が向かうようになっている。
すると、見るべきものが見える。いままで意識の下に眠らせてあった無常意識が、頭をもたげてくる。
ε・・з もたげなきゃいいのに……。
生きているうちになにをしたって、どうせ死んで無になってしまうということが、見えてしまう。
その意識が毒針になって、感受性の強い若者や年配者の価値意識を刺して生きる意欲を減退させてしまう。
これが私たちの国のいまだ。
・
ε・・з 無常の波動が日本中に満ちていて、そのせいでひきこもりが増えているの!?
無常の波動は、価値意識を虚無感でもって弱めていく。
価値意識が弱いと、生きる意欲も弱くなる。生きる意欲が弱いと、ちょっとしたことに神経が傷つきやすくなる。
傷つかないようにするには、外部からの情報を遮断するしかない。
ε・・з シャダン?
他人と交信しないことさ。交信すると、他人は自分を傷つけるようなメッセージも発信してくるからね。
ひきこもるしかない。自然にそうなっていく。
ε・・з イエスが教えてくれた世界は、その毒にも負けないの?
そうだね。ちょうど毒消しの効能を持っている。この毒に真正面から立ち向かって消すんだから。
「死んで終わりではない。その本体である霊は、霊界で永続するんだ」――とね。
人がこれに確信を持ったら、毒は負けるしかない。
ε・・з もう虚無感を感じることはないんだね!
そうだね。これに確信を持った人間は、一転して、積極的に自分の価値を認めていくことができるようになる。
回心(罪を認めて悔い改め、イエスの教えを受け入れ信仰に心を向けること)とは、こういうことをいうんだろうね。意識の根底がクルリと回転する。
ε・・з 自分の価値を認めて、積極的になれるのかー。
そうだよ。積極的で肯定的に人生を送れるようになる。
イエスの与えた癒しは、そういう根底的なところからのものだったんだ。
リストラや老後の不安を癒すだけでなく、人間が生来持っている苦悩や虚無感という危険もぬぐい去る、根底的で包括的な解決力を持つ性格のものだったんだよ。
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どうでもいい、じじぃの日記。
子ども向けの『キリスト教のことが面白いほどわかる本』を読んでいたら、「『死んで終わりではない』という確信が、究極の癒しだった」があった。
「無常の波動が日本中に満ちていて、そのせいでひきこもりが増えている」
のだそうだ。
「他人と交信しないことさ。交信すると、他人は自分を傷つけるようなメッセージも発信してくるからね。ひきこもるしかない。自然にそうなっていく」
「人につまずくとき」、人はひきこもるようになっていくのだろうか。
しかし、キリスト教徒だって人につまずく人はいるだろう。
ある本にこんなことが書かれていた。
「悪とされたものにどれだけの理由があるのか。伝えられているものを、そのまま信じない方が良いということでしょう」
人につまずくのは、信念を持たない自分のせいでもあるような気がする。