じじぃの「人の死にざま_1539_呂・尚(太公望)」

〔世界史・古代中国〕 殷、周 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nu6SQb9CSCw
呂尚 ウィキペディアWikipedia)より
呂尚(りょ しょう)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師、後に斉の始祖。
姓は姜、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる。謚は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。
一般には太公望という呼び名で知られ、釣りをしていた逸話から、日本ではしばしば釣り師の代名詞として使われる。

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『もう我慢の限界だあ!』 ユーモア人間倶楽部/編 KAWADE夢文庫 1994年発行
ダメ亭主でも我慢してれば今ごろ人生かわってた…… より
「釣りに目がない人」の代名詞としてつかわれているものに「太公望」という言葉がある。「アユ解禁」となればまっさきに釣り竿をかついででかける人たちのことだ。
この「太公望」の由来は古代中国(紀元前11世紀ごろ)の殷王朝末期の人物にある。当時、国民は紂王(ちゅうおう)という暴君に苦しめられており、それを革新する人物が待ち望まれていた。
そんなある日、諸侯のひとりであった西伯という人が、70歳にもなろうとする老人がのんびりと釣りをしているのをみかけた。話かけてみると、大変な学識と見識がある。
西伯は、かつて祖父の太公が「いつか優れた人物が現れて、その人がこの国を救うだろう。私はその人物の出現を望んでいる」といっていたのを思いだし、この老人こそ、その人物にちがいないという直観を得た。
その後、その釣りをしていた人物、呂尚は武王を助けて殷を討った。太公が望んでいた人物、つまりこれが「太公望」の由来のあらましだ。
さて、この呂尚という人物。若いころに結婚していたが、いっこうに働こうとしない。家計は火の車だ。その日の食べ物にさえ困る生活だった。
それでも、呂尚はいっこうに働こうとはしないで、1日じゅう読書にふけったり釣りにでては物思いにふけったりしていた。
そんな生活が何年もつづいた。奥さんの馬氏は、ついに貧乏暮らしにガマンできず、愛想をつかして「あなたのような能無しとはもういっしょにいられない」と、怒って家をでてしまったのである。
やがて、一国のトップに出世した呂尚のもとへ、かつて彼を捨ててでていった奥さんが現れて復縁を願ったが、呂尚は「一度こぼれた水は元には戻らない」といって拒否した。
これが「覆水盆に返らず」の語源にもなったわけだが、奥さんの馬氏は、もっとガマン強ければファーストレディになれたはずである。