じじぃの「神話伝説_162_黄帝(古代中国伝説の皇帝)」

漢民族の「誇り」、若者の間に広がる 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_mLOyMjVet4
玉(ぎょく)の衣をまとった王

中国人と台湾人は異なる民族

地球ドラマチック 「玉(ぎょく)の衣をまとった王〜古代中国の栄枯盛衰〜」 2016年2月6日 NHK
【語り】渡辺徹 2015年 イギリス製作
およそ2000年前、世界には2つの巨大な帝国が存在しました。西のローマ帝国と東の漢王朝です。
400年以上続いた漢は、広大な中国という国の礎を築き、文化的アイデンティティーを確立した。景帝など歴代の君主の墓からは、宮廷の生活を忠実に写したレプリカや貴重な宝石、玉(ぎょく)で作られたひつぎなどが見つかっている。権力を象徴する玉の埋葬衣装も発見!が、糸は金ではなくメッキだった。そこに見えるのは苦しい台所事情…。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/183/2340424/
『中国の自業自得』 黄文雄/著 徳間書店 2014年発行
漢族は多種族の混血集団 (一部抜粋しています)
漢族共通の祖先は「黄帝」であるという。あるいは「炎帝」と「黄帝」2人の「炎黄の子孫」ともいわれる。「黄帝」は『史記』にも記述されている人物であるが、戦国時代以前の古典には存在しない。その名を初めて挙げたのは戦国末期の陰陽家である鄒衍(すうえん)である。
炎帝陵は湖北省随州市、陜西省宝鶏市、山西省高平市、湖南省株洲市炎陵県など各地にあり、それぞれが「自分たちの町こそ炎帝の故郷」と争っている。一方、黄帝のほうは、陜西省延安市黄陵県に黄帝陵があり、「中華第一の陵」とされている。
いずれも伝説の帝であるが、漢民族はこれを始祖として、4600年史を四捨五入して「中華5000年の歴史」と埃にしているのである。
2013年に台湾の国民党党首に再選された馬英九は、習近平からの祝辞に返答し、「中国と台湾の両岸人民はいずれも中華民族であり、炎帝黄帝の子孫である」などと勝手に台湾人を中華民族であるかのように発言したが、これはデタラメである。
漢族というのは、1つの民族ではなく、共通の漢字によって結ばれている多民族の複合文化集団である。だから正確にいえば「字族」である。
つい最近になってよく知られるようになったが、古代中国は、黄河文明長江文明意外に長江上流の巴蜀(はしょく)文明もあり、それぞれ特色を持つ個別的な存在であった。
さらに、少なくとも黄河と長江両文明圏の間だけでも4つの種族的文化集団が存在していた。
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そもそも共通の祖先がなかった多種族文化集団である漢族が「黄帝の子孫」「炎帝の子孫」、あるいは「龍の後裔(龍的伝人)」と唱えるのはまぎれもなく一元的な中華思想の表れである。
黄帝」と呼ばれる中国人共通の開国の祖先と、日本人の祖先「天照大神」とは似ている人物であるが、中国人は神話の人物を歴史人物として黄帝開国の起源を記述し、歴史が始まったとしたのに対し、日本人の歴史は「天孫降臨」から始まっている。古代日本人の歴史認識は、神代と人代の時代をはっきりと分けているが、中国人は混然としていた。日本を建国したのが神武天皇であるのに対し、中国は、夏、商(殷)、周から秦の始皇帝の中国統一まで、じつに2000余年を必要とした。
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秦人がやっと中国を統一し、そして漢人が秦人に替わってから、遂次漢族が形成され、400余年にわかる秦・漢統一帝国の下で漢族が熟成したのである。
だが、黄河文明から生まれた秦・漢人長江文明から生まれた呉・楚人との南北対立はずっと随・唐帝国の成立に到るまで続き、その一方で漢人の同質性を高め、熟成させたのである。