じじぃの「人の死にざま_1664_柿本・人麻呂(飛鳥時代の歌人)」

柿本人麻呂

万葉集の中で一番好きな歌は? 2007年10月6日 YOMIURI ONLINE
回答
柿本人麻呂の「天飛ぶや」で始まる歌が好きです。長いので全てを覚えられませんが。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2007/1006/150488.htm
『続・誰も書かなかった 日本史「その後」の謎』 雑学総研/編 中経の文庫 2015年発行
謎のベールに包まれた、歌人柿本人麻呂の生涯 (一部抜粋しています)
万葉集』第1の歌人として讃えられ、『古今和歌集』の選者・紀貫之からは「歌聖」として崇められている柿本人麻呂持統天皇行幸にしたがい、歌を詠むなど、宮廷とも深い繋がりを持つ歌人だが、実は彼の生涯については謎が少なくない。生没年も不詳ならば、享年も不詳。「その後」も、明らかとなってはいないのだ。
しかも、興味深いのは、人麻呂が存在したという記録が古代日本の正史である『古事記』と『日本書紀』には記されていないという事実である。『歌集』として崇めた紀貫之は『古今和歌集』の仮名序で人麻呂のことを「正三位」の聖(ひじり)であると書いたが、正三位にあった者であるならば『古事記』や『日本書紀』にはその名が残るはずなのだ。
これはいったい、どういうことなのだろうか?
江戸中期の国学者賀茂真淵によると、人麻呂がその後半生において正史に刻まれることのない正六位以下の下級官吏に成り下がってしまったためと推測している。だが、柿本神社兵庫県明石市)の御祭神として奉られているほどの人物が正史に名を連ねていないとは、やはり不思議だ。
そこで考えられるのが、人麻呂が流罪となって処刑された最後を送ったため、正史に語られなかったのではないかとする説である。これは哲学者・梅原猛氏などによって出された説だが、それによると、人麻呂は庇護者の右大臣・多治比嶋の没後に失脚し、石見国(現・島根県)に配流となり、処刑されたのだという。
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  鴨山の岩根しまける我れをかも 知らにと妹(いも)が待ちつつあるらむ
この句は『万葉集』に収録されているものだが、「鴨山の岩を枕にして横たわり、死を迎えようとしている私を、妻はそうとは知らずに帰りを待っているのだろうか」という意味になる。
しかも、この句の冒頭には「岩見国に在りて死に臨む時に、自ら痛みて作る歌一首」とある。
死の処刑が近づいている様子が想像されるのだ。
なお、有力な根拠はまだないものの、36歌仙の一人・猿丸太夫の正体は人麻呂ではないかとともいわれている。
猿丸太夫の正体が人麻呂同様、謎に包まれており、刑死した人麻呂が「猿」という動物に貶(おとし)められた結果として考え出された人物なのではないかと推測されているのだ。
柿本人麻呂 歌集
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも
天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ
大君は神にしませば天雲の雷の上に廬らせるかも
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む