じじぃの「神話伝説_116_カバラ(ユダヤ神秘思想)」

Harry Potter and Kabbalah 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wKXdBXNCFjc
カバラ (The Hexagon HPより)

ユダヤ教徒の「カバラ」と「メシア運動」の歴史
ユダヤ神秘思想「カバラ」によれば、天国に秘め置かれている“メシアの魂”が地上に“人の子”として現れ、全ユダヤ人を救済するのは、地上の悪が絶頂に達したときであるという。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd600.html
カバラ ウィキペディアWikipedia)より
カバラ(Kabbala, Cabbala)、カバラーとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがある。しかし、これはもっぱら積極的な教義開示を行わないという類似性であって、教義や起源等の類似性のことではない。
【思想】
カバラでは世界の創造を神エイン・ソフからの聖性の10段階にわたる流出の過程と考え、その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈をする。この過程は10個の「球」と22本の「小径」から構成される生命の樹(セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、その部分部分に神の属性が反映されている。 したがってカバラ一神教でありながら多神教や汎神論に近い世界観を持つ。

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『世界を動かすユダヤ教の秘密―マルコポーロを廃刊に追い込む圧力とは何か』 小石泉/著 第一企画出版 1995年発行
正統派ユダヤ教と悪魔のユダヤ教 (一部抜粋しています)
さて、ここまでは正統的なユダヤ教の話である。正統的でさえこれほどキリスト教とは違うものである。ただそれは民族宗教という範疇で考える時、理解できるし、不思議な事に民族宗教の中に後の世界宗教が宿されていたのであった。キリスト教ユダヤ教から生まれユダヤ教を超えて行った。
それではエルサレムを追われた、サンヒドリンとパリサイ派はどうなったのか。先に書いたように彼らは尾までも活躍している。では、突然復活したのか。否、彼らは歴史上常に存在していたし、我々が全く知り得ない形でキリスト教に寄生し、発芽の機会を営々と待っていたのである。彼らはユダヤ教徒似ても似つかぬオカルト教、カバラを造り上げていた。
カバラについては私は多くを知らない。ただ、それはキリストの生まれる少し前、あのユダ・マカバイオスのころに出来たということ。またギリシャ哲学を母体として古代宗教の集大成ともいうべき極めてオカルト的なものであると言う事ぐらいである。さらに現代のオカルトはほとんどこのカバラから出たものであるというぐらいの影響力のあるものである。このカバラはセフィロトという図式を持っていて、なにやらわずらわしい説明をながながと学ばなければならないらしい。私にしてみれば例の「果てしない空想話」以外の何物でもないのだが、妙に仏教と似ているのが不思議でならない。万物は天地の源から流出し、また元に帰って行く。輪廻転生。どこでどうつながっているのか。仏教はこれより約500年ほど早いから、インドから流れて行ったのであろうか。
このカバラの正典ともいうべきものは「タルムード」と「ゾハール」である。「ゾハール」というのはAD13世紀にレオンのモーセというユダヤ人が書いたものである。ゾハールとは「光」という意味である。カバラはその後フリーメーソンの中心イルミナティの理想的根拠となるがイルミナティも「光」であり、その光はルシファーというやはり光を名乗る堕落天使であるからこのゾハールも無関係ではないと考えてもよかろう。ルシファーこそサタンの前身である。
ユダヤ神秘主義とか、神霊主義、神智学、人知学などと呼ばれるものは皆このカバラに起源を持ち、それは生まれたばかりのキリスト教にもグノーシス主義という名ですぐに取りついた。これらの学問は結局のところ同じ事を言っている。それは「人間は知恵によって神のようになれる」という事である。何の事はないエデンの園でアダムとエバを誘惑したサタンの化身へびの言いぐさと同じではないか。
「あなたがたは、決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」
                                創世記3:4
それもそのはず、カバラグノーシス主義も結局はサタンの宗教であるからである。サタンとは一体何だろう。日本人には分からない。日本人には絶対的善に対する絶対的悪と言う観念は分からない。そもそも絶対なんて存在しないのだから。絶対の存在しない相対の世界。それは欧米の人間にとって、驚愕すべき思想だったのだろう。