じじぃの「神話伝説_113_山上の垂訓(イエス)」

Sermon on the Mount: The Beatitudes 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BTO7-Jarl-E
ガリラヤの丘

マタイによる福音書10・5〜15 日本基督教団公式サイト
10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
http://uccj.org/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/14391.html
イザヤ書61・1〜7 日本基督教団公式サイト
61:1 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
http://uccj.org/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/7187.html
こころの時代 〜宗教・人生〜 「神は弱さの中にあり」 2015年10月25日 NHK Eテレ
【出演】木原活信(同志社大学教授)
「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」と語る。
同志社大学教授・木原活信(きはら・かつのぶ)さん。長年、社会福祉に携わってきた。根底にあるのは、キリスト教の信仰。「自らの弱さを認める」とはどういうことか。
イエス・キリストの根本思想には、コンパッション(compassion、共感・共苦)がある」と語る。
http://miyukikko.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/nhke-2a50.html
キリスト教の本 上 救世主イエスと聖書の謎を解』 増田秀光/編 学習研究社 1996年発行
山上の垂訓 (一部抜粋しています)
エスは夜明け前に起きて、静かなところへ赴き、祈っていた。弟子たちがようやく姿を見つけて、皆が捜していることを告げた。しかし、イエスは言った。
「ほかの町へ行こう。新たな人々に教えを説こうではないか。わたしはそのために出て来たのだ」
エスは、諸会堂で教え、御国(みくに)の福音を伝え、民衆のあらゆる病気や患いを癒した。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレムユダヤヨルダン川の向こう岸からも大勢の群衆が来てイエスに従った。
エスは見渡す限りの群衆を見て、山の上に登った。頂(いただき)に座ると、弟子たちと群衆たちに向かって口を開いた。それは8つの至福の状態を説いた教えであった。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。
 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
 義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」
そして、言葉はさらに続けられた。
「幸いなるかな、私を仰(あお)ぐために迫害される人よ。お前たちに対してあらん限りの悪口を言う者があれば、喜べ。お前たちのために天国はあらゆる褒美(ほうび)を用意しているのだから」
全身を耳にしている人たちに、イエスの言葉は聖なる水のように次々に降り注いでいった。
「殺すな。殺す者は裁判で罰せられる。人を怒り、罵(ののし)る者も同じだ」
「姦淫するな。情欲をもって人妻を見る者は、すでにその心のうちに女を犯している」
「天に誓うな。そこは神の玉座であるから、地に誓うな。そこは神の足台だから。エルサレムに誓うな。そこは聖なる都であるから。自分の頭に誓うな。お前たちは、髪の毛の1本を白くも黒くもできないからだ」
「目には目、歯には歯をといわれているのを聞いているだろう。しかし、私は言う。右の頬(ほお)を打たれたなら、左の頬を差し出せ。下着を奪おうとする者には、上着も与えよ。求める者には与え、借りたいという者には借しまずに与えよ」
「隣人を愛し、敵を憎めといわれているのを聞いているだろう。しかし、私は言う。敵を愛し、お前を迫害する者のために祈れ。お前たちは天にいます父が完全であるように、完全にならなければならない」
戒めを守ることと志の標(しるし)を示した後に、また言った。
「それらの義を見せびらかすようにしてはならない。人前で驕(おご)り高ぶってはならない。偽善者たちの真似をしてはならない。もしあえて、そうしたのなら、お前たちは天からの褒美は決して得られない。右の手のすることを左の手に知らせるな」
施しをするときの心のあり方、断食をするときの心の持ち方、日々の生活を送るときの心の支えも述べた。そして、真実の生命に至る道について語った。
「狭き門から入れ。滅びに通じる道は大きくて広い。この道から入ってのたうち回る者が多い。真実の生命に至る門は狭く、その道は狭く、これを見つけることのできる者は少ない」
静寂が群衆の間に波のように広がった後、遥か彼方の”天の父”に祈る言葉がすべてをしめくくった。
「天におられるわたしたちの父よ。御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。御心(みこころ)が行なわれるますように、天におけるように、地の上にも、わたしたちに必要な糧(かて)を今日与えてください。わたしたちの負い目を許してください。わたしたちも自分に負い目のある人たちを赦(ゆる)しましすように。わたしたちを誘惑に遭(あ)わせず悪い者から救ってください」