じじぃの「人の死にざま_1529_隠元大師(禅宗の僧)」

インゲン豆



禅 黄檗宗 安城
隠元禅師は中国明朝末のお坊さんで、その名声は日本にまで知られていました。中国福建省でお生まれになり、福建省福州の黄檗萬福寺の住職として、大いに禅風を挙揚しておられましたが、日本からの招きに応じて、63歳のとき多くの弟子を伴って来朝されました。
http://anjoji.com/about
隠元隆蒅 ウィキペディアWikipedia)より
隠元隆蒅(いんげん りゅうき、特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師、勅賜として真空大師、華光大師、万暦20年・文禄元年11月4日(1592年12月7日) - 寛文13年4月3日(1673年5月19日))は、中国明末清初の禅宗の僧。福建省福州福清県の生まれで、その俗姓は林である。
隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をした。
隠元豆】
隠元が来日した際に日本に持ち込んだため、その名が付いたとされる「インゲンマメ」は、中南米原産のマメ科の作物。ヨーロッパに伝わった後、ユーラシア大陸を横断して中国から日本に伝来した。但し、隠元が持ち込んだのは、現在の「フジマメ(藤豆)」だという説もあり、関西ではフジマメのことを「インゲンマメ」と呼ぶ。

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プライムニュース 「二階俊博自民総務会長 “3000人訪中団”成果 習近平主席の本音とは」 2015年5月27日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】二階俊博自由民主党総務会衆議院議員)、宮本雄二(宮本アジア研究所代表 元駐中国日本大使)
自民党二階俊博・総務会長は、日中の観光促進などのため、関係者など約3000人による代表団を率いて訪中した。北京などでは日本各地への訪問を呼びかける観光イベントがにぎわいを見せ、24日は習近平国家主席が訪中団と面会。就任後初めて民間団体の交流の場に姿を見せ、民間交流の必要性を訴える一方、歴史問題では安倍政権をけん制する姿勢を改めて示した。
この場で直接安倍首相からの親書を習主席に手渡した二階氏は、こうした中国の出方と日中関係の今後をどう見るのか。手応えと課題を聞く。
習近平主席の中日友好大会での演説 (一部)
1週間余り前、インドのモディ首相が私のふるさとの陝西省を訪問し、私は西安でモディ首相と共に中印の古代文化交流の歴史を振り返りました。隋唐の時代、西安はまた中日友好交流の重要な門戸でした。当時、日本から多くの使節や留学生、僧侶が来て学び、生活しました。その中の代表的人物が阿倍仲麻呂で、中国唐代の大詩人、李白や王維と深く友情を結び、感動的美談を残しました。
私は福建省で仕事をしていた当時、中国の名僧、隠元大師が日本に渡った話を知りました。日本で隠元大師は仏教の教義だけでなく、先進的文化と科学技術も伝え、日本の江戸時代の経済・社会発展に重要な影響を与えました。2009年、私が日本を訪問した際、北九州などで両国人民の途切れることのない文化的根源と歴史的つながりを直接感じました。
近代以降、日本は対外侵略拡張の道を進み、中日両国は痛ましい歴史を体験し、中国人民に深く重い災難がもたらされました。1970年代、毛沢東主席、周恩来総理、訒小平氏と田中角栄氏、大平正芳氏ら両国の一世代前の指導者が高い政治的知恵で重要な政治的決断を行い、さまざまな困難を乗り越え、中日国交正常化を実現し、平和友好条約を締結し、両国関係の新たな時代を開きました。廖承志氏と高碕達之助氏、岡崎嘉平太氏ら有識者は積極的に奔走し、多くの活動をしました。
歴史が証明しているように、中日友好事業は両国と両国人民にとって有益で、アジアと世界にとって有益であり、われわれは一層大切にし、心から守り、今後も努力を続けていくべきものです。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150527_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d150527_1