じじぃの「人の死にざま_1527_リチャード・ニクソン(政治家)」

Nixon in China (The Film) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4cfsI4ZjTbU
キッシンジャー周恩来 極秘会談録公開 “危険な日本”で同意 2002/08/06 産経新聞
ニクソン大統領の訪中準備のため1971年に行われたキッシンジャー米大統領特別補佐官(当時)と中国の周恩来首相(同)の極秘会談録が公開され、米中国交正常化交渉における中国の関心が日米同盟解体とともに台湾独立の可能性にあったことが明らかになった。
http://nippon-senmon.tripod.com/tairiku/chuugoku/kiken_na_nippon.html
リチャード・ニクソン ウィキペディアWikipedia)より
リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon, 1913年1月9日 - 1994年4月22日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。下院議員、上院議員、第36代副大統領、第37代大統領を歴任。
デューク大学ロースクール卒業後、弁護士として活躍した後、1946年に共和党の政治家に転身。下院議員、上院議員を経て、1953年よりドワイト・D・アイゼンハワー政権で副大統領を務めた。1960年の大統領選挙ではジョン・F・ケネディに敗れたが、1968年の大統領選挙で勝利し、第37代大統領に就任。
ベトナム戦争からのアメリカ軍の完全撤退を実現し、当時東西対立の時代にあってソビエト連邦とのデタント(緊張緩和)、中華人民共和国との国交樹立など積極的な外交を展開した。また当時環境保護運動が高まり、環境保護局の設置などを通じ公害の抑制や環境保護にも力を注いだ。経済政策で失業とインフレに悩まされながらも新しい国際通貨体制の確立に尽力した。しかし、ウォーターゲート事件により1974年に辞職に追い込まれ、任期中に辞任した唯一のアメリカ大統領となった。

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『世界を変えた100日 - 写真がとらえた歴史の瞬間』 ニック・ヤップ/著、村田綾子/訳 ナショナルジオグラフィック社 2008年発行
1972年2月21日 ニクソン大統領の中国訪問 (一部抜粋しています)
合衆国大統領による初の中華人民共和国訪問は、さまざまな意味で注目を集めた。ニクソン大統領と、当時の中国の指導者、毛沢東の組み合わせほど相性の悪い関係はなさそうに見えた。だが、中国は新しい国際的パートナーを必要としていた。
ニクソンは中国まで出かけるつもりはなかった。だが冷戦は依然として厳しい状態にあり、ニクソンも国家安全保障担当補佐官へんりー・キッシンジャーも、中国と密接な関係を結べば、ソ連との交渉の際に米国の立場が優位になると確信していた。会談に先立つ数ヵ月前、キッシンジャーがひそかに中国に渡り、ニクソン訪中を手配した。そして1972年2月21日、大統領専用機が北京空港に到着。数時間後、資本主義と共産主義の指導者が会談した。この夜、ニクソン夫妻は毛沢東の次席、周恩来首相と食事をともにし、中国の楽団が米国の楽曲を演奏するなか、乾杯を交わした。
翌週は連日、ニクソン周恩来は会談した。米国の視聴者に向け、加熱したテレビ報道が続いた。世界を舞台に活躍する政治家、という自分の姿を見せつけなければとニクソンは考えていた。会見の場所が各地に予定されていたため、ニクソンとその妻は明代の皇帝陵墓に故宮杭州、上海、万里の長城を訪れた。強行日程で、万里の長城に到着したとき大統領は、「この壁を見たら、民族間にいかなる壁もいらないと思いますね」とやっとも思いで述べた。
2週間後、中国は中米関係の正常化に全面的に同意。ニクソン外交政策は、完全なる成功をおさめた。