じじぃの「人の死にざま_1507_宮川・一夫(カメラマン)」

お遊さま(1951) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Nl4fgqjA1uk
宮川一夫淀川長治

お遊さま 角川映画
日本文壇の大御所、谷崎潤一郎の傑作「芦刈」をベストキャストにて堂々映画化!
お遊さまを演じる田中絹代と妹お静を演じる乙羽信子の壮絶な女同士の戦いが格調高く描かれる。脚本・依田義賢、美術・水谷浩。そして溝口作品には欠かせない名カメラマン宮川一夫と初めてコンビを組んだ作品。また、お遊さま一行が、牡丹で有名な長谷寺へ見物にゆくシーンでは、同寺の壁の汚れを撮影のために塗り直したという、完璧主義の溝口健二らしいエピソードも残っている。
http://www.kadokawa-pictures.jp/official/oyusama/
宮川一夫 ウィキペディアWikipedia)より
宮川 一夫(みやがわ かずお、1908年2月25日 - 1999年8月7日)は日本映画界を代表する映画カメラマンである。
主に京都太秦大映映画の時代劇における陰影ある斬新な撮影で稲垣浩溝口健二黒澤明らが監督する作品のカメラマンとして世界に知られる。本名は、宮川一雄。

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『映画を見るたびにぼくは少年に戻って行く―マイ・ティージング・ハート』 武市好古/著 話の特集 1992年発行
リポート、フィルム、宮川一夫カメラマン (一部抜粋しています)
ぼくはNHKのシンパでも敵でもないが、ふたつだけ絶対に信用していることがあった。それは日本語のアクセントと外来語の正確な発音(読み方)である。
ところが近頃はテレビにいわゆる報道記者やディレクターが姿を出すようになって、この人たちはまるでダメ、せっかくアナウンサーが正確な日本語をしゃべっているのに、それを記者が妙なナマリや不正確な外来語でブチこわしてしまう。
たとえばリポートという外来語がある。これは一般にはレポートという日本語になってしまっている。レポートという発音のことばは世界中のどこにもない。それをNHKだけはちゃんとリポートで統一している。カメラリポートなんて番組があるくらいだ。それにフィルムも、アナウンサーは正確に英語読みでフィルムといっている。これは一般にほほとんどの人が、映画や写真のプロも含めて、ふいるむといっている。一番ひどいのは富士フィルムという会社が富士ふいるむという社名を読ませていることだ。自社の製品を正確に発音できないような会社のふいるむは信用できないので、ぼくは使うのを遠慮させてもらっている。
大体、映画や写真のプロがふいるむというのが許せない。こういう人たちは悪いけど二流だと思っている。エンタテインメントがやっとエンタテイメントと書かれなくなってきたのがぼくは本当にうれしい。10年も前からンを抜かすと運が落ちますよと下手なシャレを使っていい続けてきた甲斐があったのだ。
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でも巨泉だけはちゃんとフィルムといつもいっているようだ。
この問題は英語がどうのということではない。ことばを商売にしている人はもっとそれに神経を使ってほしいのだ。それと映画や写真のプロは、自分たちのメシのタネになる道具なんだから、ちゃんと発音をしてほしい。映画ファンや写真ファンが、映画ふあんや写真ふあんになると、本当に映画や写真が好きなのかなと不安になってしまうのである。
NHKの訪問インタビューという番組に、宮川一夫さんがでていた。この人は市川崑黒澤明溝口健二などの巨匠とよく組んでいた名カメラマンでありぼくの大好きなプロである。
この宮川さんが、フィルムといっているのをきいてうれしかった。さすがプロである。現在は大阪の芸術大学かどこかで教えていらっしゃるらしいが、こういう人に教わる学生はしあわせである。
話の中で、映画という総合芸術では40人以上もの人が一緒に働いているのだから、カメラマンの撮影するフィルムの1コマにその人たち全員の思いが込められていなければならない。またそう思ってカメラをまわさなければならない、ということばがうれしかった。フィルムの1コマを大切にする(当たり前のことだが)カメラマンでなければいい絵はつくれないのだ。
編集にしても1コマを落とすかどうかで映像のリズムがちがってくる。1秒間に24コマの絵が流れていく中で、たった1コマの絵がどれだけ大切なのか、近頃の映画人にはこんなことすらわかっていないような気がする。テレビ時代(ビデオ)の悪影響がだいぶ表面化してきたのかも知れない。
宮川一夫さんは、仕事を引き受けるとき、カメラとフィルムだけはどんなことがあっても自分の自由に使わせてほしいという条件を出すということだが、これはまたうれしい発言である。