じじぃの「科学・芸術_797_ドナルド・リチー『小津安二郎の美学』」

Complete Ozu Bar-desktop

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FURoxCXBSR4

『The Complete OZU』

『The Complete OZU~小津安二郎の世界』(CD-ROM) 東芝EMI

2005.12.12 不二草紙 本日のおススメ
http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2005/12/the_complete_oz_fd52.html

『これからの本の話をしよう』

萩野正昭/著 晶文社 2019年発行

人が求める情報を提供する より

ウェブに至るかなり前から私たちが希求していたものを実例として語ってみたい。『The Complete OZU』(東芝EMI、1994年)だ。
ドナルド・リチーが書いた『小津安二郎の美学――映画のなかの日本』(山本喜久男訳、フィルムアート社、1978年)の本文記述に合わせて、映画の相当シーンをリンクした構成を中心としている。
ドナルド・リチーはその後、2013年に他界したが、日本滞在の長い経験を持ち、日本映画を世界に紹介する活動を一生かけておこなった称賛されるべき外国人だった。この企画を実施する際に銀座でお会いする機会があった。彼は、自分の書いた映画の記述は映画を思い出しながら書いたもので、その思い出の映像が本にリンクして閲覧できることの意義を驚きと称賛を持って語ってくれた。
当時は一般に販売する媒体としては最大の格納容量を持つと考えられていたCDを前提にしていたが、当然容量的な限界があったのでさすがに映像データを好きなだけ入れるというわけにはいかなかった。工夫があったとすれば、映像容量の圧縮をどう考えるかだった。テクニカルに圧縮度を上げるというようなことではなく、表現として……演出としてこれをおこなった。映像はカット単位の画像(動きある映像の最小単位)から象徴的な1コマを引き抜いて、いわば「紙芝居」的な表示となっている。どのコマを引き抜いてくるか? ここに映画に対する人のまなざしのすべてが注がれていた。
小津安二郎が監督した作品は54本といわれる。このなかから、無声映画時代の代表作『生まれてはみたけれど』(1932年)など数作品。戦前のトーキー作品、また戦後作品で権利処理でkなかった『宗方姉妹』(1950年)、『小早川家の秋』(1961年)を除く13作品が対象となっている。
文中の段落にリンクのアイコンが示され、表示画面上に映画のコマが音声とともに表示された。シークエンスの音声は一切カットされることはなく、当該シーンを忠実に再現していた。
このような方法で小津映画の典型的なラストシーンについてのシークエンスを見ていく、代表作の終わりは意図的にあるパターンを持っていた。遠くへ走り去っていく夜汽車であったり、内海を滑るように出て行く船であったり、なにかはるか彼方の海を見ているように明日を想う余韻を残している。
『The Complete OZU』は見ることができない。動かない……動くマシンがないのだ。激しく変化と進化を遂げたテクノロジーの影響をもろに受ける形で、さまざまな試みと提案がなされ、それらはこれからの時代の姿を指す試作品としてのみ世の中に垣間見られただけだった。そしてきわめて短命にこの世から消えていった。
読めない悔しさ。これは視覚障碍者が本に対して切実に訴えたことであった。彼らを支援できる何かがデジタル志向の私たちにはあるし。使命でもあると思っていた。その私たちもまた、読めないという現実に向かい合うことになった。
技術が夢を与え、できなかったことを可能にした。でも、技術はさらに発展し通り過ぎていった。前へ前へと先に行き、技術に基づいてつくったものが捨て去られていく。電子本だ。電子書籍だ、未来だと、軽い気持ちで「本」だと言ってきてしまった。
読むことも、見ることも、できなくなってしまったデジタルの本を経験した立場として何を言うことができるのか? テクノロジーの世の中に生きる、その世界でもなお失ってはならない人の視線があるのではないかと思う。
小津安二郎の美学』の本文に注釈として実際の映像をリンクさせることは、ウェブの時代となった今、何も特異なことではないだろう。当たり前のことだ。読むことも、見ることも、できなくなったことを殊更に叫ぶほどでもない。もし、図書館やデジタル・アーカイブが大きな社会的な力を発揮できるようになり、日本と言わず世界の映画が共有できる公共財産として提供されるようになるならば、ネットワーク上にそれは復活していくことは間違いない。時間の問題だと思う。