じじぃの「人の死にざま_1495_田中・久重(東芝の創業者)」

東芝 LED電球 CM 10年 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kcaVsA-tr7g
田中久重

からくり人形 「弓曳童子

蒸気機関車の模型

ものづくり日本の奇跡 2015年3月23日 TBS
【MC】安住紳一郎綾瀬はるか 【ゲスト】笹野高史箭内道彦 【解説】佐々木三郎(からくり人形師)
江戸時代末期に製作された「弓曳童子」は、からくり人形の最高傑作と言われています。
ねじを巻くと人形が右手で矢を取り、その矢を弓につがえ、的に向かって放つという動作を行います。一度のねじ巻きで連続して4本の矢を射り、そのうちの1回はわざと的を外すように設計されています。矢が当たった時と外れた時で首の動きを変えて気持ちを表現するなど、見る人を喜ばせるための工夫が見られます。
これは東芝の前身、田中製作所を創業した「からくり儀右衛門」こと田中久重が幕末に作ったからくり人形です。
http://www.tbs.co.jp/monodukuri.jpn/
国産初の家庭電化製品とは? 2010年01月20日 blog.livedoor
明治27年(1894)、日本初の家庭電化製品が誕生している。掃除機、洗濯機、炊飯器、アイロン、ラジオ、テレビなど、家電にはいろいろなものがあるが、国産初の家電製品は扇風機であった。
これは東京電灯会社(東芝の前身)が製造したもので、その扇風機にはあるものがつけられていた。そのあるものとは、電球である。扇風機のモーターの上に電球(裸電球)がついていて、スイッチを入れて扇風機が回り出すと、同時に電球が灯るようになっていた。
どうして扇風機に電球なのか。扇風機がゼンマイなどではなく電気で動くことをアピールするために、電球をつけたのだろう。当時はまだ電気そのものが珍しかった。スイット一つで電球が灯り、風が起こる。
国産初の家電製品は、当時の最先端の科学技術(=電気)による驚異的な生産品であった。
http://blog.livedoor.jp/keijibann123/archives/51574644.html
田中久重 ウィキペディアWikipedia)』より
田中 久重(たなか ひさしげ、寛政11年9月18日(1799年10月16日) - 明治14年1881年)1月11日)は、江戸時代後期から明治にかけての発明家。「東洋のエジソン」「からくり儀右衛門」と呼ばれた。
筑後国久留米(現・福岡県久留米市)の鼈甲細工師・田中弥右衛門の長男として生まれた。
幼い頃から才能を発揮し、五穀神社(久留米市通外町)の祭礼では当時流行していたからくり人形の新しい仕掛けを次々と考案して大評判となる。20代に入ると九州各地や大阪・京都・江戸でも興行を行い、その成功により日本中にその名を知られる。特に有名なのが1820年代に製作した「弓曳き童子」と「文字書き人形」で、これらは、からくり人形の最高傑作といわれている。
芝浦製作所(後の東芝の重電部門)の創業者。

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『幕末明治の肖像写真』 石黒敬章/著 角川学芸出版 2009年発行
日本赤十字社の初代社長 (一部抜粋しています)
佐野常民(さのつねたみ、1823年 - 1902年) 79歳で死亡。
佐賀藩士下村家の5男として生まれるが、天保3年(1832)親戚の藩医佐野常微の養子となる。藩校弘道館、大阪適塾などで学ぶ。嘉永6年(1853)佐賀藩精錬方の主任となり、文久3年(1863)田中久重や石黒寛次らと日本最初の蒸気船凌風丸をつくる。
慶応3年(1867)パリ万国博覧会出品のため渡欧。翌年帰国。明治3年(1871)兵部少丞として臣政府に出仕。5年博覧会御用掛兼務、6年イタリアおよびオーストリア弁理公使、博覧会服総債としてウィーンの万国博覧会に参加。