じじぃの「神話伝説_50_荘子の思想」

【紹介】『荘子』 2015年5月 100分 de 名著 (玄侑 宗久) 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=_6-v_xuKNu4
中国切手の荘子

名著43 「莊子」:100分 de 名著 2015年5月6日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光島津有理子 【ゲスト講師】玄侑宗久臨済宗妙心寺派福聚寺住職)
「不測に立ちて無有(むう)に遊ぶ」
意味するところは、先のことを予測せず未来のことはわからないので今を遊ぶ。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/43_soji/
『中国人物伝春秋戦国‐秦・漢 1 乱世から大帝国へ』 井波律子/著 岩波書店 2014年発行
隠者列伝 許由・伯夷・叔斉・老子荘子 (一部抜粋しています)
中国の隠者は、神話・伝説の時代からすでに、存続していたとおぼしい。前漢の歴史家、司馬遷(前145 - 前86)が著した『史記』(全百三十巻)冒頭を飾る「五帝本記」には、神話時代の5人の皇帝、すなわち黄帝・せんぎょく・帝堯・堯・舜の聖天子伝説が記されている。原初の皇帝たる黄帝以後、4人の聖天子はいずれも血統によらず、天子にふさわしい聰明さのゆえに後継者に選ばれたとされる。
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老荘思想とも呼ばれるように、道家思想には老子荘子の祖が存在する。
史記』(巻六十三)に収められた「荘子伝」によれば、荘子(荘周)は戦国時代の宋国蒙県(河南省)の出身。故郷の漆畑の役人だったことがあるが、まもなく辞職、二度と仕官しなかった。のちに、彼の名声を知った大国楚の威王から宰相になってほしいと招聘されたが、肥え太らされたあげく、祭祀の犠牲(いけにえ)に供される牛になるより、泥まみれになって自由に遊び戯れているほうがずっといいと、きっぱり拒否したという。これ以外、荘子の詳細な経歴はわからない。
ただ、彼の著した『荘子』列御寇(れつぎょこう)篇に、路地裏に住んで、草履を作っては売り、細々と生計を立てる、痩せこけて顔色もわるい、みずからの姿を描写したくだりがある。おそらく彼は貧しい路地裏の隠者として、生涯を送ったのであろう。
しかし、この路地裏の隠者の手になる『荘子』には、道家思想の精髄が記されており、先輩の老子をはるかに凌駕する質の高さと深さが認められる。荘子はみずからの哲学をむきだしの論理の言葉ではなく、奇抜な比喩を用いた寓話を通して語るのが常だ。このため、『荘子』は哲学書であると同時に、無類のおもしろさにあふれる古代寓話集あるいは奇想短編小説集といった趣をもつ。
荘子老子と同様、無為自然を重視するが、両者の間にはそうとう差異がある。老子無為自然には、世事に関わらなければ身の安全が保てるという、処世術につながる要素が認められる。一方、荘子の説く無為自然はもっと超越的であり、世間や社会など何のその、「内面的な絶対自由の世界」を、日々刻々、変化をくりかえす大いなる天地自然と対応させ、常にその動きと一体化させようとする。
次にあげる言葉は、「有為(ゆうい)」すなわち功利的な有用性を否定し、「無為」すなわち無用性を称揚したものである。
 今、子に大樹ありてその無用を患(うれ)う。何ぞ之(こ)れを無何有(むかゆう)の郷(きょう)、広漠(こうばく)の野に樹(う)え、彷徨乎(ほうこうこ)として其の側(かたわら)に無為にし、逍遥乎(しょうようこ)として其の下に寝臥(しんが)せざるや。斤斧(きんふ)に夭(き)られず、物の害する者なし。用う可き所なきも、安(いずく)んぞ困苦する所あらんや。
  (いま、あなたの所に大木が有って用いようがないと心配しておられます。それを何も存在しない土地、どこまでも広がる野原に植えて、そのかたわらで思うがままに休息し、その木陰でのびのびと寝そべることを、どうしてなさろうとしないのです。斤や斧で断ち切れることもなく、何者も害に加えることがありません。用いようがないからといって、悩む必要があるでしょうか)
「無用の用」の大らかにしてのびやかな肯定である。
また、「自然」であることがいかに大切かを語るとき、荘子は「混沌、七竅(しちきょう)に死す」(応帝王篇)の寓話をもちだす。宇宙の中心の神「混沌」はのっぺらぼうの存在だったが、他の神々が好意から、これに目・耳・口・鼻の7つの竅(あな)を毎日1つずつあけてやった。ところが、7日目すべての竅をあけ終った瞬間、なんと混沌は絶命してしまう。人為的に本来の性格を加工することがいかに空しく、あるがままに自由であることがいかに大切か。荘子はこの寓話を通じて、百万言を費やすよりも鮮明に説きあかすのである。かくして、荘子は生と死、夢と現実の区別さえ取りはらい、内的自由の領域を拡大しながら、飛翔しつづける。