じじぃの「人の死にざま_1465_加藤・友三郎(ワシントン会議)」

加藤友三郎

加藤友三郎 ウィキペディアWikipedia)より
加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。
海軍大臣内閣総理大臣(第21代)などを歴任した。

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『あの戦争と日本人』 半藤一利 文春文庫 2011年発行
戦艦大和と日本人 (一部抜粋しています)
イギリス、アメリカ、日本、フランス、イタリアと、5ヵ国の海軍国が参加しました。日本の全権は海軍大臣加藤友三郎。八・八艦隊をつくるために最大の努力を捧げた人が自ら乗り込んでいったわけです。
決定は、主力艦(戦艦、空母)の保有量の比率をアメリカ10、イギリス10、日本6、イタリアとフランスは3・5と決め協約を調印します。覚えやすいから略して5・5・3の比率と私たちもよく言うんですが、これ本当は10・10・6といったほうがいい。対米「六割海軍」だということがわかりますね。
明治以来の七割海軍思想でばっちりと教育された人たちからは、六割では戦えないと猛反対の声が上がりました。けれども加藤友三郎さんは、「七割なら安全で六割なら駄目だという根拠をだしてみろ。紙の上の計算だけにこだわるのは、大間違いである」と言って、反対派を抑え、条約を呑みました。その時のいい言葉があります。
「国防は軍人の専有物にあらず。戦争もまた軍人にてなし得べきものにあらず。国家総動員してこれにあたらざれば目的を達しがたし。……平たくいえば、金がなければ戦争はできぬということなり。国防は国力に相当する武力を備うると同時に、国力を滋養し、一方外交により戦争を避くることが目下の時勢において国防の本義なりと信ず。すなわち国防は軍人の専有物にあらずとの結論に達す」
要するに、外交により戦争は避けることが国防の本義であると。それをカバーするのが海軍力である。従って、六割海軍であっても世界平和のために呑む、ということなんです。なんといっても日本海海戦のときの参謀長、重鎮の彼のこの英断は、「偉大なるローソク」、すなわち病身の提督が最後の輝きを見せたときと、世界で讃えられました。
だけど翌年、加藤さんは死んじゃったんです。これが歴史の悲しいところですね。加藤さんがまだこの後も生きていたら、日本の運命は違うものになっていたかもしれません。