じじぃの「人の死にざま_1467_石川・信吾(戦艦大和)」

戦艦大和・その栄光と終焉 .日本海海軍の象徴としての? 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uc9JHQJ0f3s
戦艦大和

戦艦大和の活躍?と最後
しかも、アメリカは大西洋と太平洋をどちらも防御する必要がある為に必ず艦隊はパナマ運河を通るんです。このパナマ運河を通れないような巨大な戦艦はつくれない!つまり、大和は圧倒的に有利なのです!!!
http://www12.plala.or.jp/rekisi/senkan-yamato.html
石川信吾 ウィキペディアWikipedia)より
石川 信吾(いしかわ しんご、1894年(明治27年)1月1日 - 1964年(昭和39年)12月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。通称不規弾。

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『あの戦争と日本人』 半藤一利 文春文庫 2011年発行
戦艦大和と日本人 (一部抜粋しています)
ワシントン、ロンドンと2つの軍縮会議が続いて、歓迎できない比率を押しつけられた想いのもと、海軍部内の反米感情が高まったこのとき、石川信吾という海軍には珍しい政治的軍人が、7割海軍論のエース的な理論家として頭角を現してきたんです。
ルーズベルト以来のアメリカ極東侵略政策がまさに成功に向かって、大きく踏み出したのがワシントン会議であった。それに日本はいいように乗せされた。ロンドン会議はアメリカに関する限り、軍縮ではなく、軍拡であった。世界平和ではなくて、日本を屈服させてのアメリカの平和である。日本は戦わずしてアメリカに降伏したようなものである」
とさかんに石川は論じました。だから、アメリカに勝つ方法を考えなきゃいけない。その方法とは何かといってら……昭和8年(1933)10月、ものすごい長文の、軍艦に対する私見というものを提出しました。中にこんなことが書いてあります。
 わが日本海軍はいまや対米作戦方策のとるべき途を失った。弱体化と孤立化させられたわれわれには、条約の桎梏(しっこく)から一日も早く解放されることこそ唯一の方途である。ワシントン条約ロンドン条約も、決められた年数が過ぎたら、そのときは蹴飛ばして、自由な建艦競争をしよう。ただし日本は国力がないから、どんどんつくるわけにいかない。だったら、アメリカには決してつくれない巨大戦艦をつくればいい……。
軍縮を決裂させても、近年の日本の産業、文化の長足の進歩と、満蒙の経営によって、状況は大きく異なり心配はなくなっている。無条約時代に入ったならば、その後10年間に、パナマ運河を通れぬような超大戦艦5隻を建造、これを中心とする、日本の国情にあった効率のよい軍艦を充実させることによって、対米勝算は得られるのである」
どうしてアメリカは巨大戦艦をつくれないのか。大西洋と太平洋の両海洋艦隊をもつゆえに、パナマ運河を通れないような大きな艦は、始末に困る。アメリカはそんな不便な艦はつくれない。日本は遠慮なくでっかい戦艦をつくって、巨大な大砲を積み、遠くからアメリカの戦艦を叩きのめし、最後は7割に持ち込んで決戦しよう……と提案したんです。
そう、ここに出てきた「巨大戦艦」こそが、のちの大和なんですね。
軍司令部の加藤寛治、末次信正以下、対米強硬派の人たちはそれを大歓迎しました。それこそがアメリカに勝てる戦法だ。グッドアイディアだというんで、みんなダーッと乗っかりました。しかし、冷静に考えてみると、超巨大戦艦をつくる、不沈戦艦をつくる、というのは、貧乏海軍ゆえの発想なんですね。一隻沈められたらもう補充はきかない、という強迫観念が常にあった。国力がないゆえ、ありえない不沈の大艦を夢想するんです。敵の弾丸の届かないところで巨砲を撃ちたい、なんて軍隊としては後退した考え方というほかはないんですが、貧乏海軍はそれを夢みたのです。