じじぃの「人の死にざま_1462_ジュゼッペ・ピアッツィ(小惑星)」

Giuseppe Piazzi 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G36atnavxuY
小惑星 ケレス (StellaCloud HPより)

ジュゼッペ・ピアッツィ ウィキペディアWikipedia
ジュゼッペ・ピアッツィ(Giuseppe Piazzi 1746年7月7日 - 1826年7月22日)はイタリアの天文学者であり、数学者、神学者でもあった。1781年、シチリアに自身で設立したパレルモ天文台天文台長に就任した。歴史上初めて小惑星を発見したことで著名である。

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小惑星探査機「はやぶさ2」の大挑戦 太陽系と生命の起源を探る壮大なミッション 』 山根一眞/著 ブルーバックス 2014年発行
バラバラになった星 (一部抜粋しています)
平山清次著の『小惑星』(岩波全書)では小惑星の発見史がドラマチックに綴られているので、それを参考にしながら小惑星の発見史をたどっておこう。
17世紀の始め、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)は、太陽系の惑星を太陽からの平均距離順に並べていくとその間垣が外にいくほど増していくが、火星と木星の間が広すぎることに気づいていた。そこで、火星と木星の間には未発見の惑星がひとつあるはずだだが、発見されないのは、その惑星が小さすぎるからだと推測していた。その推測は正しかった。
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小さな惑星は夜空を埋めつくす遠方の恒星と見分けがつかない。太陽系の惑星を探し出すためには、恒星にはない「運動」をしている星を見出す必要がある。望遠鏡で小さな星、1つ1つを肉眼で数時間見続けて、運動のあるなしを確かめていくのだ。この「捜索団」の編成を発議したドイツの天文学者、フランツ・フオン・ツァハ(1754〜1832)は、その観測を「警官が犯罪者を検挙する」ことにたとえている。「犯罪者が多数の良民の中に隠れているように、小惑星は数百万の恒星の中に潜んでいるのだ」と。
だが、小惑星の最初の発見は、この「捜索団」ではなくイタリアのシシリー島にあるバレルモ天文台のイタリア人天文学者、ジュゼッペ・ピアッツィ(「ピアジ」と表記することも多い)によってもたらされた。ピアッツィが取り組んでいたのは小惑星の発見ではなく、全天の星のカタログを作ることだった、ピアッツィは1789年から1813年までの24年間を費やして7646個の恒星を観測し記録している。この星のカタログは日本では「星表」と呼ばれるが、正確を期すために1個の星について数回の観測をする必要があり、ピアッツィは延べ15万以上の星を観測したようだ。
この星の観測のさなかの1801年(享和元年)1月1日、牝牛座の一部にある約8等級(肉眼)で見える限界、6等級よりはるかに暗い)の小さな星を望遠鏡(子午儀)で見ていたピアッツィは、翌日、その星が少し動いたことに気づく。翌々日の観測でも動いていることを確認する。
そこでピアッツィは1月24日、この発見について手紙でイタリアとドイツ、フランスの著名な天文学者に報告する。その報告には、その小さな星の1月3日と23日の位置のほかに、1月12日にその星の移動方向が逆方向に転じたことも記してあった。はるか遠方の恒星と違い、太陽を周回している太陽系の惑星は同じく太陽を周回している地球との位置関係や公転速度などの違いから、しばしば見かけ上の移動方向が逆転して見えることが多い。つまり、その星が1月12日に移動方向を逆転したことは、太陽系内の惑星であることを物語っていた。
この報告を受けた天文学者はその小さな星の軌道を計算し、将来の位置を推定した。そして発見からちょぅど1年後、ドイツの天文学者によって計算通りの位置のその星が観測できたのだ。最初の小惑星の発見が確定した。
こうして19世紀の最初の年に発見された小惑星第1号には。シシリー島の女神の名をとり「ケレス」と命名された。
後に、火星と木星の間に続々と小惑星が発見されたが、「ひとつの惑星があるはず」と考えられていたのに反して複数の惑星が見つかった理由は、もともとひとつだった惑星がバラバラになったからだろうと推測された。